波路を築く

アニメの感想&批評

【聖地巡礼レポート】TVアニメ『かみちゅ!』 広島県尾道市、福山市

はじめに

本記事は、以下の記事を参照しています。
記事のリンク先
TVアニメ『かみちゅ!』 舞台探訪(聖地巡礼)@尾道編 - 舞台探訪総研 聖地巡礼ブログ (hatenablog.com)
https://btsoken.hatenablog.com/entry/20121020/1350678380

TVアニメ『かみちゅ!』 舞台探訪(聖地巡礼)@福山編 - 舞台探訪総研 聖地巡礼ブログ (hatenablog.com)
https://btsoken.hatenablog.com/entry/20121104/1352026453

聖地巡礼かみちゅ!-Part1-尾道市その1 : 週末ひとり旅 (livedoor.jp)
http://blog.livedoor.jp/nadukari/archives/1279695.html


アニメの画像はリンク先のものを引用しています。画像は実際の景色との比較にのみ用いており、商用利用、広告収入は一切ございません。画像の著作権は(C)アニプレックスおよびベサメムーチョにあります。著作者の申請を受け次第、画像の利用を直ちに停止します。

実際にロケ地巡りする場合は、一・二個目の記事に地図・マーク付きの記事があるのでそちらを参照してください。
 

かみちゅ!

全16話。オリジナルアニメ。監督は『マギ』『ブルーピリオド』などの舛成孝二。アニメーション制作はブレインズ・ベース。「かみちゅ」は「神様で中学生」の略である。
 

行き先、日程

広島県尾道市広島県福山市尾道駅福山駅周辺。京都から青春18きっぷを利用。一泊二日。なお、管理人は初広島、初聖地巡礼(たまたま行ってしまったものを除けば)である。

2021年12月11日(土)
出発→福山駅周辺→尾道駅周辺(少し)→一泊

2021年12月12日(土)
尾道駅周辺→帰宅
 

福山

第11話『恋は行方不明』にて、ゆりえ弟とまつり妹が駆け落ちした場所。本編では、ローカル線を使って尾道から福山まで行く場面から始まっている。一応、撮影したので動画を載せておく。
尾道駅福山駅山陽本線
www.youtube.com
 

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福山駅8番ホーム
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福山駅南口
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カフェ1 - 喫茶アイビー
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カフェ2 - 喫茶アイビー
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出雲そば大黒屋 - 駅南口ケンタッキー

現在は、そば店に変わっているようです。

福山城は工事中でした………………って、あのブランコ行けねえ! あそこ名シーンなのに、残念。一応工事中の福山城の写真を載せておく。

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福山城

 

尾道

かみちゅの舞台はほとんどが尾道である。街の至る所に野良猫がいる。そして、人に慣れている。第8話『野生時代』では、人間との共存をテーマに、猫同士の抗争を描いている。

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尾道の猫


通学路
尾道駅北側

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通学路1-1
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通学路1-2
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通学路1-3

尾道駅北東側、ホテル「LOG」周辺

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通学路2-1
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通学路2-2
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通学路2-3
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通学路2-4

尾道駅北東側、「みはらし亭」周辺

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通学路3-1
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通学路3-2
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通学路3-3
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通学路3-4
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通学路4-1
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通学路4-2
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通学路4-3


土堂小学校

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学校1 - 土堂小学校
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学校2 - 土堂小学校

書道部の活動場所

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学校3 - 土堂小学校
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学校4 - 土堂小学校


尾道駅東側

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尾道駅周辺
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商工会議所前
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セブンイレブン尾道土堂店裏1
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セブンイレブン尾道土堂店裏2
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セブンイレブン尾道土堂店裏3
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踏切

艮神社・御袖天満宮

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艮神社
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御袖天満宮1
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御袖天満宮2
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御袖天満宮3
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御袖天満宮4
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御袖天満宮5
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御袖天満宮6
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御袖天満宮7
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御袖天満宮8
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御袖天満宮9

絵馬を書きました。左が私のです。真ん中の絵馬の愛が凄かったので対抗して隣に飾りました。

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絵馬


浄土寺周辺

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ゆりえ宅周辺1
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ゆりえ宅周辺2
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ゆりえ宅周辺3

個人宅なので、名前隠しておきます。

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ゆりえ宅


海沿い

残念ながら、フェリーが日曜休業だったため、対岸の向島へは行きませんでした。

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フェリー発着場
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海沿い1
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海沿い2
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海沿い3

なお、ロープウェイは臨時休業でした。2021年12/1~12/24まで使えなかったそうです。
 

計画性なし

福山城は工事、ロープウェイは臨時休業、フェリーは日曜休業と、惜しい点はあった。もちろん、これらは調べれば分かることである。少なくともフェリーは前日に行けたはずだ。改めて、自分の計画性の無さを再確認することとなった。
 

感想

尾道駅の東側の浄土寺を北に行ったところ、ロケ地巡りの男性と出会う。映画『ふたり』を見て来たらしい。曰く、尾道はあらゆる場所がロケ地であり、色々な作品の舞台になっていると。朝方を過ぎた日中からは観光客が増え、神社の境内で『かみちゅ!』に関する話し声が聞こえることさえあった。

「写真通りの街」「どこを切り取っても絵になる」というのはまさにその通りである。例えば、本記事の通学路2-4の階段の上から見下ろす構図では、建物の間から瀬戸内海と山々が見える。複雑な山道×海に面した街の組み合わせは、尾道のストロングポイントに他ならない。

休業中のロープウェイの代わりに尾道市立美術館を訪ねた。建物の前には猫の彫像が連なっている。入口の前にある巨大な猫と2ショットを取る女子大生っぽい人も見られた。

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尾道美術館前

美術館の展示品は尾道の景色をはじめ、人物画など様々な作品が並んでいる。地元の人々の多数の笑顔の写真を貼り合わせ、何かしら編集を施すことで尾道の風景を描く、芸術学科の大学生によるコンテスト作品もあった。ここでは、尾道の風景画(主に小林和作氏の作品)について言及していきたい。

日本の画家の古豪が描く尾道の景色は、(あくまで個人的な感想に過ぎないが)写実的なものから幻想的なもの、子供心をくすぐるもの、歴史的な風情を感じるものなど色々あり、画家の個性を十二分に浴びることが出来る。アニメーションはともかく、私は一般的にアートと呼ばれているものには疎いため、具体的な美術技法やおそらく絵画に表れているであろう画家の感性を汲み取ることは難しい。見当違いな部分も多々あるだろうが、容赦されたし。

小林和作の油彩画は、まるで幼い頃に見た景色を切り取る懐かしさと、歴史への郷愁を引き立てられる作品であった。筆を押し当てるような大胆なワンタッチを繰り返し(ペインティングナイフを使っているのかもしれない)、異なる色を何度も重ね合わせたような描きは、自分が小学生の時に先生に教えられた点描の方法と似通っている。これは、決して簡単に描けそうという意味ではない。一方でおぼろげで穏やかな印象が過去の記憶の不明瞭さを感じさせるようで、他方で独特な重量感がノスタルジーを触発する。これらを演出するのに、お誂え向きな表現だと思うのだ。

水、木々、山々、あるいは空までも、性質の似通った様々な色が組み合わさっている。輪郭は直接的に線で表現することが多いように見え、絵の構図自体は分かりやすい。純粋な遊び心を感じる点描の部分も相まって、全体的に感情に訴えかける作風となっている。細かな技術的要素を排し(それもまた突出した上手さなのだろうが)ているが、その実一目見たときの自然の豊かな再現性は、きっと凄まじい観察力に起因するのだろう。

歴史への郷愁、ノスタルジーと言ったが、『かみちゅ!』は「歴史」に敏感な作品である。日本の宗教観や伝統的ファンタジーを踏襲した初期設定に始め、古き良き小物をバックに描きながら、年代の地方都市の持つ地域共同性が強調されている。第7話、第9話あたりは顕著な例で、街を紡いできた人々が歴史を作り、そのありがたみを受け継ぎながら新たに街を紡ぐ人が現れる。同時代の横の繋がりだけでなく、時を超えた縦の繋がりを感じさせるという、まさに昔ながらの地方都市を描くのにうってつけの題材だ。

アニメ作品を見たときと似たような感覚が、美術館の作品を見たときに、そして尾道の景色を実際に見たときに湧き上がってくる。私が生まれるずっと前からある尾道の外観の美しさと精神的な豊かさが、2021年、今もなお現存しているということに、先人たちのみなぎる活力を感じずにはいられない。きっかけはアニメ作品だが、尾道の良さは十分伝わっている。

さて、聖地巡礼の旅は、多少惜しいところはあっても、順調に進むことができた。レンタサイクルが有名な街なのだが、商店街周辺、海沿いというよりは山道ばっか歩くので借りなかった。歩きでも駅から図書館のあたりまで全然行ける距離だった。尾道を上から眺めるためには、土堂小学校の横から階段を登り続けて美術館周辺まで行くが吉だろう。体力も使うので、特に夏場は注意しておきたい。


人生初の聖地巡礼の記録をここに記します。素晴らしい街、素晴らしいコンテンツを作り上げた人々に最大限の感謝を。

【ストーリー分析】白い砂のアクアトープ 第16話『傷だらけの君にエールを』(感想・考察)

白い砂のアクアトープ 第16話『傷だらけの君にエールを』

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基本情報

  • 監督:篠原俊哉
  • 脚本: 柿原優子
  • 画コンテ:室井ふみえ
  • 演出:熨斗谷充孝
  • 作画監督:宮崎司、他4名
  • アニメーション制作:P.A.WORKS

 

評価

A スタンダード
 

総評

第16話は、南風原知夢回。視点はくくると知夢を中心に描かれ、二人の関係性の変化を描く。知夢の個人的な事情が明かされるサプライズ的な側面もある。ペンギンの孵化、竹下さんの登場といった要素と織り交ぜており、母と労働のつながり、命のつながりを感じさせる描写は多い。

ストーリー

メインストーリーは、
①知夢がシフトを外して、くくるが疑念を抱く
②くくるのヘルプに対して知夢が反発する
③くくるが子育てを体験する
④知夢の過去が語られる
⑤知夢の事情が周りに明かされ、知夢とくくるが和解する

である。

サブストーリーは、
(ⅰ)風花が知夢のアパートを訪れる
などがある

第9話の初登場回以降、何かとがまがま組に対して反感を持っていた知夢。その内情が明かされるとともに、今一度職場と生命の関わりを見つめなおし、人間関係に善い変化が訪れる前向きなエピソードであった。
 

分析

美術的な話から。これらは直感的に分かりやすい。

知夢のネガティブな感情を物理的な距離と彩度のコントラストで描く。
[1:01]竹下さんとやや距離を置き、影になっている知夢

くくると知夢の心理的な壁を物理的な距離で描く。
[6:11]遠方のカメラから切り取る描写(くくると知夢の距離感が分かりやすい

子供・労働関連の話題になった際の知夢を切り取るフィルムは、暗さを重視している。なお、過去回想は常にセピア色のフィルターがかけられている。
[3:35][10:52]影で暗い知夢
[16:12]風花に過去を話す際、またしても暗い知夢

では、ストーリーを見ていこう。

ストーリーの流れ自体はシンプルだ。物語を「登場人物が気づきを得ること」だと定義すれば、今回のエピソードはそれに律儀に乗っ取った、極めてオーソドックスなものと言えよう。

くくるは知夢の事情を知らなかった。知らなかったがゆえに、知夢のシフトの割り当てが極端に少ないことに反感を抱き、知夢に反発してしまった。朱里の発言により、逆に飼育部になるチャンスだと踏んだくくるは、善意から知夢のヘルプに入ろうとする。知夢の事情を知った際には、ひどいことを言ってしまったと後悔していた。

一応注意しておきたいことは、くくるには「仕事を休むなんてずるい」という大義名分と、「飼育部への一歩となるかも」という下心があったということか。

さて、事情を知ったくくるは、子育ての大変さを身をもって知るために、竹下さんに子育て体験を申し出る。はっきり言って、ズレている。ここで重要なのは、子育てそのものの大変さというより、子育てと仕事の両立に付随する問題のはずだ。ただ、このズレは明らかに意図的なものである。なぜなら、くくるが知夢の大変さを思い知ることで、彼女に対する見方を変えるというメインストーリーは問題なく進行しているからだ。別に、子育への理解が深まったとか、そういうストーリーにはなっていない。ただ一つ、くくる自身の意識が変わったということが大事なのである。

最終的には、知夢を一歩引いて見ることが出来たくくる。非常に感覚的であるが、くくるのがむしゃらと狭い視野という人間像が無ければ、かえってストーリーの強度は落ちてしまうだろう。

一人で突き進むくくるを補助し、知夢にくくるに対する理解を与える存在が、風花である。ここでくくるを「上げる」プロデュース力は、風花のみが持つものだ。くくるの状況を知った知夢も、あきれた表情である。
[17:42]驚いてあきれる知夢

知夢視点を軽く追っていく。知夢がくくるのヘルプに対して反発した際の言いぶんは「私だって仕事したいのに、私の仕事を奪わないで」というものだった。頑なに周りに協力を頼もうとしない知夢だが、彼女の過去に何があったのだろうか。彼女が今まで事情を明かさなかった理由も併せて、過去回想という形で説明されている。

くくると知夢という二人の人物の描きについては、美点だけでなく、欠点を中心に描く(今まで描いてきた)ことによって、人間像に厚みを持たせようとする工夫が見られる。言い換えれば、知夢は子育てと労働をこなす完璧なキャリアウーマンではないし、くくるは迷いなく突き進むが視野が狭い人物である。

それゆえに、ストーリーには少し歪さが残り、滑らかすぎる進行はしていない(穿った見方をすれば、知夢の反発、くくるの子育て体験といった要素は、キャラクターを描くための恣意的なものに過ぎない)。物語としてやるべきことはやっているため、これは好みの問題に過ぎないだろう。
 

補足

1. 南風原知夢

彼女が一児の母であることの伏線はあったのだろうか、今一度振り返ってみたい。が、本人が隠してきたこともあって、決定的なものは無さそう。あくまで匂わせる程度のものということで。

直近だと、第15話のテラスでの昼食のシーンであろう。
(第15話)[14:17]手作り弁当を食べる薫と、買ってきたおにぎりを食べる知夢

あとは、初登場の第9話の私服の服装。風花にはアクセサリーがついているが、知夢にはついていない。つまり、着飾っていない。まあ、これで知夢の事情を予測するにはあまりにも情報が足りなさすぎる。
(第9話)[15:53]ホテルでの服装(私服)

あと、知夢の子供は結構やんちゃしてそう。
[15:20]削れているドアとシールが貼ってある図


残された伏線や謎は以下の通り。
①くくるの双子兄弟のストーリーにおける役割
②ファンタジー現象の謎
③くくるの目標はどうなる?
④櫂の恋はどうなる?


これで、白い砂のアクアトープ 第16話『傷だらけの君にエールを』のストーリー分析を終える。

日記 11/27

劇伴

音楽が好き。特に劇伴が好き。映像や物語との噛み合わせを味わって作品世界に没頭するのが楽しい。劇伴にしか無い強みだと思っている。

以下、オリジナルサウンドトラックを購入したアニメ一覧。勿論、アニメにハマらなければ買わなかったもの。

どれも素晴らしかった。アコースティックな音源はココロ図書館とブルリフ。ブルリフは正統派オケアレンジで迫力あって、バトル、日常ともに心にすっと馴染む。ココロ図書館は一曲の時間が長くて、曲中のパターン(楽器、テンポ)を変化させる場所を複数用意している。作品の造りとしては、映像に合わせて音楽を作るフィルムスコアリング(例:スタァライト)というよりは、音楽に合わせてコンテを切っているのだろう。ユリ熊は神聖な感じとバチバチな電子音とコーラスが混ざりあってジャンル色々、少女向け変身ヒロインアニメを意識している曲もある。ワンエグはどこか重量感と非日常感を重視したDJ作家ならではのエレクトロニックという感じ。

いずれも世界観の構築に一役買っている。聴けば聴くほど味わい深いものだ。他に配信で聴いたやつはARIA、P4などなど。欲しいやつ筆頭は、スケッチブック~full colors~とか、プリキュアシリーズ何か(Goプリが良いかな)。

将来の夢は遇に現れるもので、私の劇伴作家への尊敬が自然と憧れや羨望にシフトしていった。OSTに触れる行為は、己の野心を刺激させるものとなった。いずれ、映像や物語との噛み合わせを色々考えながら、内にあるモノを表現できる人になれるように。日々精進の志を忘れずに、頑張っていきたい。

【ストーリー分析】白い砂のアクアトープ 第15話『ウミウシ大論戦』(感想・考察)

白い砂のアクアトープ 第15話『ウミウシ大論戦』

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基本情報

  • 監督:篠原俊哉
  • 脚本:千葉美鈴
  • 画コンテ:高村彰
  • 演出:高村彰
  • 作画監督:鍋田香代子、他5名
  • アニメーション制作:P.A.WORKS

 

評価

A ストロング
  

総評

第15話は、くくるの企画展示回である。謎の多いウミウシという生物、そしてウミウシの企画展示を媒介に、水族館の功罪や各登場人物の理念の様々を描いていく。くくる、薫、副館長の3人に異なる主張を持たせて対立させる構造だが、無論、ここに正解不正解は無い。どれが正しいか、あるいはどう折り合いを付けるべきかは、視聴者が各自決めればいい話だ。この具体的な描写が、仕事アニメとしての完成度を高めており、ドラマ作りの基本に忠実な一話といった印象を受ける。
 

ストーリー

メインストーリーは、
①くくるが副館長に企画展示を命じられる
②くくるが副館長に展示するウミウシの数の変更を命じられる
③薫と雅藍洞部長による無給餌の案にくくるが反発する
④くくるが特定のウミウシの餌を見つけようと試みるが、失敗する
ウミウシの企画展示が成功する(妥協点あり)
⑥くくるが副部長に叱られる

である。

サブストーリーは、
(ⅰ)櫂がくくるの手伝いをする
(ⅱ)くくるがバックヤードツアーの案内に遅れる
などがある。

メインストーリーが多数で複雑になっているが、いずれも重要である。櫂、知夢などといったサブキャラクター中心のサブストーリーもメインストーリーに絡み合っており、ストーリーの強度はかなり高い。
  

分析

まず、くくるの主張は、ウミウシの企画展示では、飼い殺しや無給餌は断固反対といったものだ。単純明快であるがゆえに、様々な問題を生んでいく。

続いて、副館長の経営方針について。ウミウシの企画展示までのタイムリミットは二週間、ウミウシの数は八体の二つである。

この時点で、くくると副館長の間には完全に完結出来ない(出来なかった)課題が生じる。それは、ウミウシを八体飼育することに際し、具体的な餌が分からない種が存在しているということだ。ウミウシの食性は天然物中心である以上、餌の情報は他の水族館に相談しても分からないということらしい。

結果的に、餌が分からないウミウシを一体飼育に回したままウミウシの企画展示を行うことになる。それにより、メインストーリー⑥につながっていく。

さて、薫の主張を見ていこう。飼育担当である彼女は、ウミウシ八体の展示に対して反発的であり、第一にウミウシの数を減らすことを要求した。ウミウシの飼育は難しく、常に餌に仕事を回す必要があり、そうすれば他の仕事が回らなくなるそうだ。その後、無給餌の案が伽藍洞部長によって出され、メインストーリー③につながっていく。

無給餌に反対のくくるは、ウミウシの餌探しをしようとする。薫が言っていたように、ウミウシの飼育は難しいという事実は、この展開の必然性をさらに高めている。しかし、くくるは飼育部ではなく、営業部である。このあたりのくくるの葛藤は、副館長との会話のシーンで描かれている。
[13:00]副館長「そんなのは飼育部に任せて、お前は営業の仕事をしろ」

飼育部に一任すれば無給餌が確定するこの状況の中で、くくるは営業の仕事と同時にウミウシの飼育の仕事を個人的に取り持つ。ウミウシの企画展示のことで忙しく、他の仕事に頭が回らないくくるの姿の描写もある。直感的に分かるのは、くくるの目のクマ。サブストーリー(ⅱ)も、その一つである。
[15:29]朱里にパンフレットの発注について尋ねられ、はっとするくくる

続いて、くくると薫のシーンである。薫の思う水族館の意義は、原文ママで、
「地球を守るためだ。水界の生き物を調査研究し、その結果を発表したり展示したりする。生き物の素晴らしさを知ってもらうことが目的であり、水族館はその入り口だと僕は思っている」
とある。それゆえに、薫は目の前の生きている生物の生死を重く見据えていない。無給餌でも展示しようとするし、弱ってきたら海に還すのではなく、責任を持って飼育して調査研究を続行する。

薫は視野が広すぎるとくくるは説いたが、薫の説得を聞いた上で、目の前の生き物を優先する姿勢を曲げていない。そんなくくるに薫がかけた言葉に、「生き物にとって最善は何か考え、出した答えに責任を持つこと」とある。くくるの無邪気な“好き”を見た薫は、自分とくくるの共通点を見つけ、ウミウシ問題に協力するようくくるに持ち掛ける。

くくるの直面した問題は、何も営業部にのみ当てはまるものではない。水族館の在り方に何を重視するかは個々で異なっており、正しい立場を一意に定めることは出来ない。だから、互いが協力して二人が納得できる形で道を選ぶ。時には妥協することにもなるだろう。一種のウミウシは展示されることはなく、飼育に回すことになった。

先に述べた通り、今回のウミウシ展示では「八体」を満たしていないため、くくるは副館長に叱られることになる。くくるにとってネガティブに描かれている副館長の営業至上主義もまた彼の責任あっての答えだ。また、副館長のこのこだわりは、地域性やコミュニティを重んじるまがま水族館の経営理念とはまた対照的であり、おじいとの対立項にもなっている。どの理念が正しいのか、視聴者がそれぞれ考えればいいだけのことだ。

以上がメインストーリーの概略となる。続いては、今回の裏の主人公、薫に注目していきたい。13話から第15話前半までの描写を見るに、真面目や堅苦しい(良い意味でも悪い意味でも)という印象が残る薫。同じく真面目な印象を受ける知夢とよく行動を共にしている。
[4:07]櫂の前で溜息をつく薫
[5:05]空也の返事を注意する薫

だが、知夢との昼食の場面で、知夢とは異なった一面が見える。がまがま組の陰口を言って発散する知夢(このあたりは、知夢を訝しげに見つめるくくると似ている部分がある)は、薫にもがまがま組の印象をたずねる。空也、うみやん、櫂と、なかなかに不甲斐ない面子を前にしてきた薫であるが、感想は一言「色々いるなあ」で済ませているだけだ。自分の主張を強く押し通す知夢とは異なり、度量が広いという感じか。例えば、くくるの無給餌断固拒否シーンでは、くくるの熱量に感心するような描写がある。視点の中心であったくくるから、薫に注意が引き寄せられる。
[12:13]薫の首が少し持ち上がるカット

イノーへデートを誘うほどに、くくるに心を開いた薫。彼女の人間像が徐々に見えてきたのも、一つ進展と言えよう。

他にも、櫂、瑛士、空也などといった様々なキャラクターが活躍するエピソードであった。
 

補足

1. 櫂と瑛士

特に櫂である。くくるへの恋は、未解決のストーリーとして、一つ抑えておくべきだろう。今回櫂は、くくるのサポート役に徹し、彼女の精神状態を改善していた。
[16:24]サンドバッグ櫂

櫂はティンガーラの仕事よりもくくるへの恋心が先行しているということを、瑛士は見透かしている。やはり、周りを見るのが上手い男である。
[8:28]動物の求愛行動を語る瑛士


2. ハリセン帽

ウミウシ展示に来場したお客さんが言っていた「帽子のグッズ」は、おそらく、夏凛たちが開発している商品のことと思われる。今は誰もつけていないが、今後帽子をつけるお客さんが現れるかもしれないので、注目である。
[7:05]ハリセンボンの帽子の商品開発の様子


残された伏線や謎は以下の通り。
①くくるの双子兄弟のストーリーにおける役割
②ファンタジー現象の謎
③くくるの目標はどうなる?
④櫂の恋はどうなる?


これで、白い砂のアクアトープ 第15話『ウミウシ大論戦』のストーリー分析を終える。

【ストーリー分析】白い砂のアクアトープ 第14話『ペンギンチェイサー』(感想・考察)

白い砂のアクアトープ 第14話『ペンギンチェイサー』

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基本情報

  • 監督:篠原俊哉
  • 脚本: 山田由香
  • 画コンテ:市村徹夫
  • 演出:市村徹夫
  • 作画監督:水野紗世、他9名
  • アニメーション制作:P.A.WORKS

 

評価

A スタンダード
 

総評

第14話は、くくるのバックヤードツアーのストーリーと、風花のペンギン飼育のストーリーが並行する回である。互いのストーリーが相補的に作用しあい、ストーリーの強度は高い。また、前回とは打って変わってポジティブな情動を与えるストーリーが多く、物語が順調に進行していることに爽やかな印象を受ける。アニメ―ション的にも見応えがあり、特にバックヤードツアー関連の画コンテは素晴らしい。
 

ストーリー

メインストーリーは、
①くくるがバックヤードツアーの準備をする
②風花がペンギンの名前のテストに合格する
③くくるのバックヤードツアーが成功する

である。

サブストーリーは、
(ⅰ)くくるが朱里とバックヤードツアーの練習をする
などがある。

全ドラマパートがくくるや風花の成功に働きかけるような構成となっており、一話完結のエピソードとしても完成度の高いものと言えよう。
 

分析

飼育部海獣担当に所属することになった風花は、ケープペンギンチームの一員として、知夢や米倉マリナと共に働くことになる。潜水士の免許も取ったようだ。

くくるや風花の成功をメインストーリーに置いているが、特にくくるに直面する問題は様々だ。バックヤードツアーの一番の目的は水族館の宣伝である。しかし、ペンギンチームの知夢や魚類担当の薫と話を合わせようとしても、都合上無理だと跳ね返されるのが現状だ。

飼育部長の助力もあって、薫のほうからは後々許可(バックヤードツアーでの餌やり)が下りるのだが、ペンギンチームに関しては問題が山積みである。それでも妥協したくないくくるは、ペンギンチームにもう一度声をかけることになる。
[15:07]くくる「でも、ペンギンはみんな喜ぶと思うんです」
[15:10]副館長「どっちなんだ!」

そこで鍵となる存在が風花となる。ペンギンチームは、くくるにバックヤードツアーのガイドを申し込まれ、風花とマリナは前向きな様子。風花のペンギンの名前テストの結果が、知夢の許可に直結するというのが今回のメインストーリーの一つである。テストは無事合格し、くくるや風花、マリナが知夢にバックヤードツアーの件を折り入って頼む展開だ。

結果として、バックヤードツアーにペンギン観察や餌やりを組み込むことが出来、当日は成功となる。少し注意したいのは、バックヤードツアーの組が一組だけだったことから、水族館の宣伝という目的の成功とはなっていないということだ。これに関しては、くくるが副館長に指摘されている通りだ。だが、あくまでメインに据えているのはくくるの成功体験であり、この経験によってくくるは今後の自信につながっていく。
[22:58]風花「でもお客さん楽しんでくれたんでしょ」

以上がエピソードの概略となるが、個々のシーンに注目していくと色々なところが見えてくる。

まずは、くくるの目標である。それは、いつか飼育の仕事に戻るというものだ。ここで言う目標とは、言わば本作を包括するストーリーの到達点である。この目標が(1)達成される (2)達成されない (3)目標が変わり新たなストーリーの到達点が生まれる:これらいずれかによって、初めてストーリーが完結する。この「いつか飼育の仕事に戻る」というくくるの目標は、今後の展開のあらゆる要素に直結しうる要素なので、常に注目していきたい。
[10:45]風花に目標を告げるくくる
(おそらくこのシーンの演出的には、車の光が顔に射して明るくなっている状態=目標が見えている、ということを意味するのだろう。くくるの顔が照らされ、その後風花の顔が照らされる描写となっている)

ある意味では、今回のストーリーもこの目標に沿ったものと言えるだろう。飼育の仕事が出来るようになるには、今やっている営業部の仕事をしっかりとこなさなくてはならない。その努力の支えになっているのが風花の存在であり、仕事仲間の存在であり、海の生き物の存在でもある。それゆえに、くくるが営業部の仕事を(例え嫌なことや辛いことがあっても)頑張っているという状況は、常に整合性が取れていることになる。

ただ、風花に関しては、新しい目標が見えない。言い換えれば、その目標はすでに達成されている。Cパートで明言されていたように、くくるがティンガーラで働いているから、風花もティンガーラに就職したのだ。風花(とくくる)を主役に添えていた前半部とは異なる部分は、作品全体を通して完結されるべき風花中心のストーリーが存在しないところだ。今後の風花のストーリー上の役割に注目である。

続いて、バックヤードツアーの画的な構図について。今回、バックヤードツアーの場面は二つある。一つ目は、朱里との練習。二つ目は本番。

一つ目に注目すると、我々視聴者は朱里と同じ視点(朱里の背後から俯瞰する視点)にあり、水族館の様々な場所の概観が分かるようになっている。大げさな表現をすれば、バックヤードツアーを追体験しているといったところか。
[12:58]「ティンガーラの心臓部」を切り取る描写
[13:14]大水槽を俯瞰する描写

ところが、バックヤードツアーの本番では、くくるの視点に切り替わっている。つまり、バックヤードツアーに際して、お客さんの反応を存分に描き、表情やしぐさなどからその雰囲気がしっかりと伝わるようになっている。作画的にも、このお客さんの描写のこだわりが見られるので、ぜひ注目してみて欲しい。
[19:57]「ティンガーラの心臓部」でのお客さんの反応
[20:04]大水槽を見て喜ぶ子供たちとその家族

 

補足

1. くくると風花

先ほど指摘した通り、くくるには「いつか飼育の仕事に戻る」という目標がある。対して風花には、今後の指針となるような目標は明示されていない。風花は、サブキャラクターと同じ立ち位置になるのだろうか。


残された伏線や謎は以下の通り。
①くくるの双子兄弟のストーリーにおける役割
②ファンタジー現象の謎
③くくるの目標はどうなる?


これで、白い砂のアクアトープ 第14話『ペンギンチェイサー』のストーリー分析を終える。

【ストーリー分析】白い砂のアクアトープ 第13話『海の遙かなティンガーラ』(感想・考察)

白い砂のアクアトープ 第13話『海の遙かなティンガーラ』

次回→

はじめに

第13話より、個別記事を再開します。
 

基本情報

 

評価

A スタンダード
 

総評

第13話は、ティンガーラ編序章、くくる回である。エピソードを通して描かれるくくるの情動は、ネガティブなものが多い。新しい同僚の朱里との交流で仕事のモチベーションに繋がったり、上司である副館長との仕事においてくくるが何か新たな気づきを得たりなどといった展開は、今のところはない。これは、ラストの風花が登場する展開を重視した構成である。視聴者的には風花を懐かしく思ってはいないものの、くくるの安心感や幸福感をしかと感じ取れるエピソードとなっている。
 

ストーリー

メインストーリーは
①くくるが営業部に配属される
②くくるが多くの仕事を要求され、処理できずに失敗する
③くくると風花が再開する

である。

サブストーリーは、
(ⅰ)夏凛がくくるを誘って水族館内を案内する
などがある。

サブストーリー(ⅰ)にこの例を挙げたが、くくるが自分の居場所を動的に理解することは、くくるのポジティブな情動に繋がる数少ない要素である。最新鋭の技術を駆使した広大な水族館を回ったくくるは、仕事をするにあたって、忙しさや辛いことにたくさん直面するだろうと理解した。丁寧なコンテワークによって、視聴者はこのことを映像的に感じ取れるようになっている。ここで映像や美術に力を入れてくるのは、作り手のセンスが光った部分と言えよう。
 

分析

廊下ですれ違っても互いに挨拶をしないくくると、南風原知夢&島袋薫ペア。以前、知夢はがまがま水族館で研修していた。「コネ入社組」と言っているあたり、あまりがまがま組を良く持っていないようだ。知夢やその他ティンガーラ組とがまがま組の対立構造には、注目していきたい。
[7:31]薫「何人いるんだ? もはや派閥だね」
[11:25]知夢の営業スマイル

くくるの初仕事はバックヤードツアーの予行準備であった。この情報は昨日配られた資料の中にあったのだが、それを十分に読んでいなかったくくるは、予行決行当日にそれを知ることになる。また、バックヤードツアーの予行について、社内に先週メールが送られていたようだが、知夢や薫はそれを意識していなかった。

これら一連の流れは、くくるの問題というよりは、新しい職場であるがゆえの杜撰な管理体制や人間関係の脆さに原因を置くべきだろう。くくるの机に積まれた書類の下のほうにバックヤードツアーに関する案内があったこと、知夢や薫が自分の仕事に精一杯で社内連絡に目を通していなかったこと。新キャラの比嘉瑛士は、職場の人間関係を指摘していた。

必死で予行の準備を進めたくくるは、結局は副館長によって全て棄却され、知夢にも叱られた。魚で言うところの雑魚以下だとこき下ろされる始末である。実際、くくるの負った責任は軽いものではない。それゆえに、見る人によっては、胃痛状態になってしまうだろう。では、視聴者は何をモチベーションにこのエピソードを見ればよいのだろうか。

くくるの(に対する)ネガティブな情動ばかりが先行しているように見えるが、それでも単に暗い話にならないよう、いくつか工夫している部分が見受けられる。先に述べた美術的な面の他に、例えばくくるの海の生物に対する愛情と(それを前面に押し出す)強かさがある。これは、くくるが副館長にプランクトンと呼ばれる経緯を見れば分かるだろう。
[18:00]笑ってはいけない場面で笑ってしまう夏凛と朱里

あるいは、水族館に対する副館長の誠実さもあるだろう。その一例として、バックヤードツアーの予行を中止する副館長の判断がある。おおよそ失敗の見当がついていた副館長は、くくるがその全責任を負わないよう、中止の判断をした。副館長も人間なんだぜ。

視点がくくるであるがゆえに、ネガティブな情動を煽られるばかりとなってしまったが、全体を通してみれば、登場人物全員が仕事に真摯に取り組んでいることが分かる。仕事を取り扱う物語において、各登場人物が個人ないし組織の理念に沿って経営のために尽力することが、結果的にドラマ(対立、団結など)に繋がる。このようなセオリーへの忠実さが、PAお仕事アニメの真骨頂と言えよう。
 

補足

1. 比嘉瑛士

眼鏡の男性。正式入社組でありながら、がまがま組にも壁を作らず対等に接している。知夢や薫、そしてがまがま組を繋げるキーパーソンとなり得るが、果たして。


2. うどんちゃん

主要メンバーの中では唯一社会人ではないうどんちゃん。今後どのような形で出番があるか、注目していきたい。


残された伏線や謎は以下の通り。
①くくるの双子の兄弟のストーリーにおける役割
②ファンタジー現象の謎


これで、白い砂のアクアトープ 第13話『海の遙かなティンガーラ』のストーリー分析を終える。

映画 トロピカル〜ジュ!プリキュア 雪のプリンセスと奇跡の指輪! 感想

映画 トロピカル〜ジュ!プリキュア 雪のプリンセスと奇跡の指輪!

基本情報

 

はじめに

秋の季節となりました。記事をしばらく書かなかったのは、大して忙しくもないのにも関わらず大学の授業やら何やらにかこつけて、サボることの正当性を自分に言い聞かせていただけです。決して作品に触れていなかったとか、アニメから離れていたとか、そういう理由ではございません。申し訳ございませんでした。思ったことをそのまま口に出す感想の題材として、今回は映画トロプリを選びます。ちなみにプリキュアの映画を劇場で見るのは初めてです。

ネタバレ全開です。
 

感想

現実の季節とは裏腹に、平常通り常夏模様のトロプリ主人公、夏海まなつである。いや、沖縄の街がモデルと言われているあおぞら市は実際に暖かいのだろう。そんなわちゃわちゃ気分のトロピカル部一行が向かう舞台は、一面銀世界の雪の王国「シャンティア」だ。シャンティア王国の王女「シャロン」は、次第に心の冷気を幽かに醸し出し、やがて堕ちる。凍てつく花に寄り添って、氷を溶かすことが出来るのか。

そんな感じの映画トロプリであるが、今回はゲストキャラとしてハートキャッチプリキュアの面子が登場である。心の花のようなハトプリ要素もちょいちょいある。そして、脚本はプリキュアおなじみ成田良美氏である。ハピチャ以降プリキュアの脚本を受け持つ機会は減ったが、ハトプリでは8話ぶん書いているらしい。やはり、ハトプリ勢のキャラクターの描きが上手い。

未来予想図で子供がよく書きそうなテクノロジーを感じるビデオレター式招待状で、シャロン戴冠式に招待されるトピ部。そして、列車でワープするような演出。御伽噺みたいだとまなつは言っていたように、この“御伽噺”というキーワードが、個人的に結構大事に感じる。

ファンタジーなシャンティアは、美術も対照的である。鋭い光が射し、現代的な建物がずらりと並ぶあおぞら市に対し、シャンティアの雰囲気は不気味なほどにほんわかしすぎている。後にシャンティア王国が一度滅びた冥府だと明かされるが、このシビアなサプライズはよく効いていたし、我々大人の視点で映像表現を振り返ってみると、型破りな世界だと思わせる描写は確かにあった。

常夏で生まれ育ったまなつは、雪にシロップをかけてそのまま食べようとするほどに、冬の世界を知らないので、大はしゃぎである。さすがに雪にシロップかける中学生いねえだろ……と突っ込みたくなるが、このあたりは映画プリキュアらしくてむしろ好きだ。70分という短いフィルムの中で、フル尺+αの変身シーンや必殺技シーンを入れつつ、子供向けのエンタメ要素を存分に組み込み、お話を描かねばならない。このまなつのアホさ加減で、ちょうどいいのだ。雪は衛生的に良くないという、みのりん先輩の注意付きである。

子供向けと言ったが、シャロンのCVは女優兼声優の松本まりか氏である。シャロンは劇中で豹変するのだが、仮面と真実を使い分ける演技は、正直なところあまりハマらなかった。監督によれば、「プリキュアとほぼ同年齢でありながら、複雑な状況に置かれている設定、そういったところをしっかり演じられ、さらに、プリキュアのような可憐な女の子の声であってほしい」とのことだ。なるほど。自分はうえしゃま大好きなので、ハーモニーのミァハ、カリギュラのμ系の上田麗奈が見たいと言って安直に起用するが、元々は大人びたお姉さんイメージなので、中学生ではないよなあと勝手に納得した次第である。パンチ効きすぎてもかえって毒になるかもしれない。

本作の主人公はローラである。物語前半は、ローラとえりか、ローラとシャロンという二つの関係性を軸とし、さらに二つのストーリーが相補的に絡み合い、構造的には見所があった。ローラを一番近くで見ていたまなつは、彼女の不安や苛立ちの原因を適切に汲み取って適切な助言をし、役割的には彼女のサポートに徹していた。結果的には、二つの関係性の悶着状態を良い方向へと導いたが、このようなクレバーな役割はTVシリーズではなかなか見られないものだ。それも含め、劇場版の醍醐味である。

戴冠式のゲストとしてステージに立つ予定だったローラたちのコーデを決める段階で、まずはローラとえりかの諍いである。言いたいことを思わず口に出してしまう性格はお互い様で、例えそれが相手の気分を損ねることがあっても、その状態を客観視する余裕のないヒートアップ状態に、時にはなってしまう。それゆえに、第三者の指摘、助言が必要なのだ。まなつとつぼみの役回りはそこにある。

“らしさ”を存分に発揮した個性的なコーデは、ファッションデザイナーを夢見るえりかの意見によって、一度は棄却されてしまう。目立ちすぎ、ステージに上がるのはローラだけではないと、これらは間違いなく正論である。それがローラの反発を生み、仲たがいする。まなつが陽気に運んできたアイスには目もくれず、ローラは立ち去ってしまう。ここからは、キャラクターのペアが様々な形を帯び、相互に関係を与える群像のような構図になる。その中で、メインストーリーはローラとシャロンのペアに注力して描かれる。

ローラとシャロンは、互いに王女になる(なりたい)もの同士として打ち解け合う。笑顔の国を願うシャロンは、ローラにも幸せを分かち合おうと指輪に祈りを込め、ローラにプレゼントする。託したものは目に見えるものだけではなく、歌もまたそうである。これらが後々キーアイテムとなっていくのだが、シャロンが真実ローラの幸せを願っていたことが後々明らかになって、心暖かい気持ちになった。

陽→陰への切り替えもスムーズで、ここでローラの強がりと寂しさといったものが、鮮明に描かれるストーリーとなる。プリンセスとして責務を果たす決意に対する不安、祖国を滅ぼされ、襲撃から一人逃れたことへの寂しさや怒りといった負の感情は、これまた本編中ではあまり描かれなかった側面だ。そしてローラは、鏡映しのシャロンの心の奥に強い違和感を感じとる。シャロンを切り取る画角は斜めったりあおりの構図だったりと、不安を煽る描写となっている。

まなつとえりか。本当は寂しい気持ちが心の中にあって、強がって生きているというえりかの指摘。かつて自分が抱えていた問題に幾度となく向き合った彼女は、先輩らしくローラを適切に見据えている。二人の会話を経て、まなつは、ローラといることが楽しいという想いから、ローラに寄り添うことを決める。

そんなこんなで、互いの立場に寄り添った二人は仲直りである。ローラの個性を尊重しつつ改善案を出すえりかのデザイナーとしての実力も発揮された。えりかの言う「つぼみのように間近で見て分かってくれる人」は、ローラにとってはまなつになる。

場面は変わり、これまで伏せられてきたシャロンの闇、シャンティアの真実といったものが徐々に明らかになり、重苦しい雰囲気が押し寄せる。シャンティアは一万年前に滅びた冥府であり、次期王女であったシャロンは全てを失った国家を眺め、そのまま絶命した。彗星の力によって目覚めたシャロンは、どのような手を使ってでも新たな力で国を再生しようとする。

ここで変身シーンであるが、俺は劇伴オタクなので、フル尺大画面と映画館特有の音圧との相乗効果で引き込まれて感動してしまった。映画全体としても、様々なジャンルや楽器を駆使した劇伴は、異国の地な感じ全開で良かったのではないだろうか。ハトプリ変身シーンもオケ融合でガッチリ仕上げてきたの、まさに映画スタッフのやりたいことだったでしょ。

雪の王国の再建に囚われたシャロンは、他人を傷つけることを厭わず、無情にも怪物の力を奮っていく。互いに幸せの国を創ることを望み、友好関係を約束したローラとの対比として、シャロンの拭いきれなかった後悔や諦念が荒れ狂った心の闇を作り出し、大吹雪となって現れる。ホラー的な演出は従来のプリキュアシリーズを振り返ってみても異色であった。

後悔と言うには、仮に時が戻ったとしてもシャロンの力ではどうにもならないような理不尽さだった。そのため、女王として家族や国民、そして美しい国を守れなかったと述べる彼女の重責には、計り知れないものがある。一人で抱えるには、あまりにも重すぎた。

シャンティアに呼び込まれた人々が「誰かを笑顔にすることが出来る人」というのは、シャロンの砕かれた理想を表現しており、切なさが込みあがってくる。愛を知り愛を与えてきた者であるがゆえに、全てを奪われる理不尽への抗いを諦めきれない。逆に言えば、笑顔で溢れる世界を望む心は自身の性質として本来備わっており、それを受け取り叶えてくれると信じ切れる存在がいれば、それは理不尽を飲み込むための鍵となり得る。

やはり、手を差し伸べたのはローラであった。故国を滅ぼされた悲しみを持つ者同士、幸せの国を望む者同士、友達同士。同じ思いを持つ者であるが、ローラは生者で、シャロンは死者である。かつて葬られた国の全てであるシャロンの彼女の幸福を叶えるために、生者であるローラが寄り添い、何が出来るのか。

本作は、心の花を溶かすキーアイテムとして「幸せの指輪」と「歌」を掲げているが、いずれもシャロンがローラに託したものである。本当は止めてほしかったというシャロンの内なる想いに、説得力がこみ上げてくる。次第に彗星の力が弱まり、シャロンが望んだ理想郷は氷を溶かしていく。同時に、その理想郷が永遠でないことが示唆されて、別れの物語を前面に押し出す。

シャロンが望んだ笑顔の国、シャンティアにも春が訪れ、一層美しい世界となる。その世界は儚くも終わりを告げるが、そこにあった幸せや笑顔は虚構ではない。未来を見据えるローラ達のカーテンコールは、現実を受け止めつつも、シャロンやシャンティアの想いを受け取り、その存在を確かなものにする。

下を向いて咲くスノードロップは、上を向くことはないけれど、希望を象徴する花である。死者であるシャロンの奇跡は間も無く終わり、シャロンという存在は消えてしまうが、果たしてそれはシャロンが存在する前の無と同等であるかと言われれば、否と答えるだろう。想いは、未来へ繋がっていく。

時を超えて想いは繋がっていくという命題は、情緒的であり、大切であると思うのだけれど、「死者の希望の実現は死者の幸せとなり得るか」を考えたときには、多かれ少なかれ哲学的な要素を認めることが出来ると思う。主体は消えてしまったが、主体の想いを受け継ぐ者はいる。かくして、死者の想い恒久性を認めることが出来れば、シャロンがローラに願いを託すことがそのまま彼女の幸せに直結するという風にも考えられる。

終わってみれば、シャロンの過去は重く、シャロンやシャンティアともお別れといった、ビターづくしの映画だった。先ほど「御伽噺」と言ったが、シャロンのように、理不尽によって大切を失い引きずってしまう人は、現実のどこにでもいる。なかなか歌一つで救いになるというわけにもいかないだろう。だが本作は、虚構の世界に手を伸ばすことで、逆説的に「生者として出来ること」を我々に説いている。シャロンやシャンティアが滅んだ運命を変えることも無ければ、時を戻すこともない。本作は、夢物語を描きつつも現実を見据えた物語であり、ただ夢を虚構で終わらせず、そこから得られる本当の意味で大切なメッセージを示しているのだ。

初めてのプリキュア映画は大変面白かった。プリキュア映画自体は、同監督の春のカーニバルとハピチャあたりの映画を数本見ているのだが、本作はそれらと打って変わってビターな味わいだった。変身シーンはまさに劇場に来て良かったと思えた瞬間で、フル尺変身を採ったスタッフさん、ありがとうございます。