波路を築く

アニメの感想&批評

少女☆歌劇 レヴュースタァライト 

メタ構造とエンタメ

概要

はじめに

 メディアミックス作品のテレビアニメ化ということで、実質オリジナルアニメである。未放送エピソードは未視聴。本稿は"revue"スタァライトの"review"である。

役者

 本作は「ミュージカルとアニメを同時展開する新感覚のライブエンターテイメント」という企画を基盤にして制作された作品である。すなわち、原作であるミュージカルの主要キャストがそのままアニメ版の声優を演じている。そのため、舞台の経験はあれど声優としての経験は浅い若手役者もいる。同じく主要キャラクターを演じているベテラン声優との差を考えると、余計に特定のキャラクターの演技のぎこちなさが浮き彫りになっている。まあ、ある一定の棒読み感に関していえば、そのキャラクターの持つ空虚さや恐怖感を増幅させるという一種の演出効果になっているのは確かだ。しかし、経験を積んだ声優であっても棒読み演技は可能なので、演技力の不足は明確なマイナスポイントである。

 同時に、ベテラン声優とそれ以外とを比べると歌唱力の差が大きくなっている。確かに、演者の歌唱力の差はキャラクターの劇団員としての実力差を表すのに効果的であろう。だが、本作の特殊な演出形態がとある問題を引き起こしている。すなわち、劇中歌を登場人物が歌っているのかキャストが歌っているのか明確でないという点だ。世に存在する数多のミュージカル映画では、普通、ミュージカルシーンの挿入歌は登場人物の口から発せられるように演出されている。しかし本作では、明らかに人物の口が動いていないときにもBGMとして歌が流れ続けることがある。つまり、劇中歌と挿入歌を場面ごとに使い分けるのである。「登場人物が歌っている」としたいのならば、歌が流れている間だけはセリフをカットして歌う、あるいはセリフを入れてBGMとしてインスト版を挿入するのが適切であるし、実力差のあるキャスティングも効果的だ。しかしそういった意図がないのであれば挿入歌としてのクオリティの差が純粋に気になる。まあ、これが新しい表現方法だというのならそれはそれで良いのだが、普通にミュージカルをやってくれて良かったのではないか。

構成

 では、設定を見ていこう。国内有数の演劇学校、聖翔音楽学園。毎年学園祭で演目『スタァライト』を演じるカリキュラムがある。季節は春、二年生となった主人公のもとへ幼馴染の転校生が現れた。ある日主人公は、夜中の学園内で見覚えのないエレベーターのスイッチを押す。すると、突然地下劇場に吸い込まれ、そこでクラスメイトと幼馴染が戦っているのを目撃する。と、ここで本作には何らかのファンタジー要素を抱えていることになるが、その狙いはつまるところ、登場人物に何でもありの舞台を用意することだ。これについては後ほど触れていきたい。

 では、本筋となる物語にも軽く触れよう。その物語とは大きく分けて二つ、「地下劇場」でのキャラクターの成長を描く群像劇と、次の学園祭までのストーリーだ。そして本作では、これら二つの物語を平行して描いている。その際に必要なのは、その物語同士の結びつきだ。本作の場合、「地下劇場」は言わば特定の9人の舞台少女だけの世界であり、学園に通う彼女たちの現実の世界とは異なる。二つの世界を繋ぐ架け橋となるのはその舞台少女たちだけなので、二つの物語をリンクさせるには舞台少女の内面に寄り添う必要がある。例えば、舞台少女たちが「地下の決闘」に感化されて得たものを実際の演劇活動に生かし、演者として高みに上っていく、というストーリー展開などが考えられるだろう。

 だが実際は、二つの物語をしっかり結び付けられているとは言い難い。特に、物語の終着点の一つにもなっている学園祭関連の描写不足は、決して擁護できるものではない。最終的に演目『スタァライト』のオーディションが行われ、メインキャストは主人公たちのみが選ばれるが、「地下の決闘」での勝敗と現実の演劇の実力には関連性はなく、現実世界のオーディションに至る努力の過程が描かれないため、上記のような結果には説得力が薄い。さらに、演劇を扱うアニメでありながら、同じライバルであるはずのクラスメイトや、舞台創造科の生徒という存在がまるでなかったかのように扱われてしまっているのも由々しき事態だ。また、虚構→現実の結びつきだけでなく、その逆も然りだ。「地下の決闘」の勝敗は各々の情熱によって左右されるが、その勝敗に論理性を持たせるような現実の描写での積み重ねが全体的に不足してしまっている。これら諸々の問題はおそらく全体的な尺不足からきていると思われるが、九人の群像と学園祭のストーリーを全十三話で描くその構成自体に難がある。学園祭はあくまで目標、その結末をぼかす形にした方が、無理やり学園祭を描くよりは少なくともマシだっただろう。

レヴュー

 先に大きな問題点を指摘したが、それ以外の部分は抜群な面白さを誇っている。その面白さを生み出している核心は、ストーリーの大部分を占める「地下の決闘」の演出形態である『レヴュー』に他ならない。『レヴュー』とは、少女たちの過ごす現実世界とは対照的なファンタジー世界の、主に「地下劇場」で行われる演劇そのものを指している。本作の演劇シーンは全て『レヴュー』によって構成されており、これが大きな独自性を生み出している。

 まず、演劇に必要な要素である役者、舞台、脚本に関しては用意しなくともすでに揃っているという点。舞台は演者自身が動かしているという設定であり、脚本はキャラクターのセリフそのものである。そのため、キャラクターが舞台を用意したり演劇を練習したりする風景をわざわざ描く必要がなく、結果、数多くの演劇を物語に組み込める。一見小さなことに見えるが、青春のスポットライトが当たる舞台を論理的に生み出しており、設定面の複雑さを見事エンタメに昇華している。これは明確なメリットだろう。

 次に、アニメーションの特質を最大限に活かした演出がエンターテイメントとして優秀だという点。その一例が、舞台のギミックを活用したバトル演出だ。各『レヴュー』シーンでは、何でもありな舞台演出を存分に活かして、外連味のある決闘シーンを演出することに成功している。さらに、これが歌とセリフと組み合わせることで相乗効果を成し、それ自体を一種のエンタメとして確立している。この視覚的及び聴覚的な面白さは、演劇を丸ごとファンタジーに落とし込んだ本作でしか体現できないものだ。その点で、本作の独自性はずば抜けており、他のアニメにはない味わいとなっている。

 あと一つは、演劇に必要な要素である観客もすでに用意されいる点だ。その観客とは、本作が明言したように我々視聴者である。『レヴュー』は、あくまでキャラクター同士の感情と信念のぶつかり合いをミュージカル風の演出で表現したものに過ぎない。だが、もとよりアニメの性質上、アニメそのものを演劇と捉える視点も理解できる。本作はその視点を利用し、演劇と物語を同時に描くことにより演劇の視聴者として我々を取り込むことを可能にしている。構造的に面白いのは、キャラクター自身が演じているのかはたまた「現実」を生きているのか、その境界が薄いことだ。通常、劇中劇というものは、演者とその観客という構造を成し、我々はその全体を俯瞰する形になる。しかし本作の場合、我々は観客の立場にいる。つまり、形式的には劇中劇であるが、演者と視聴者を隔てるフィルターが存在しないのである。これは極めてメタ的な構造だ。演劇としての魅力をより大きく引き出し、臨場感を高めるためにこの構図を取っているのであれば、その試みは上手くいっているように思える。

 だが、デメリットも存在する。『レヴュー』は形式美を重んじ整合性を排除したものである。作り手が表現したい雰囲気を醸成するために論理性や科学考証を交えないのは、その部分を説明するのが面倒だという作り手側の逃げの一手であるとも言える。そのため我々は多くの超常現象を「そういうもの」として受け取ることになる。この辺りは人によって大きく評価の分かれるポイントとなるだろう。

群像劇

 では、本作は群像劇としてはどうなのかと問われれば、多少強引ではあるものの完成度は高いと言っても良いのではないだろうか。人物配置としては、友人への劣等感を抱える者、過去の青春に囚われる者、ポテンシャルは高いが自己研鑽を怠っていた者、頂点に立つ者、友人を嫉妬する者など、各々が譲れない信念や悩みを持っている。さらに、それぞれが『トップスタァ』を目指す理由も様々であり、異なる情熱がぶつかり合う『レヴュー』の熱量を高めている。複数の細いワイヤーが編み込まれるように独立したストーリーが重なっていく様子は、まさに群像劇といった風情を感じられる。

 本作のストーリーを断片的に紹介する。過去の青春の輝きに囚われる「大場なな」は第100回聖翔祭で前回と似たものを再現しようと試みる。しかし、本当は第100回を行う気などなかったのだ。第7話。『オーディション』によって勝ち続けトップスタァの称号を得たななは、『運命の舞台』として第99回聖翔祭を選ぶ。彼女は、友達と初めて作った舞台に固執しており、もう一度皆でその舞台を。第99回聖翔祭はもう終わっているのだから、必然的に時間遡行がなされることとなる。しかし、何度再演を試みても過去の輝きが増すばかりで満足しない……。このように、数多くの作品で使い古されたループという手法が、「再演」という舞台特有の設定を活かして用いられているのは新鮮で面白い。

 第11話。Bパートはまるごと演劇の趣を醸し出しておりエピソードの豊かさと力強さを助長している。ひかりが塔に幽閉されていることを確信した華恋は地下劇場への階段を下っていく。華恋は基本的にひかり一直線のキャラクターとして描かれてきたが、彼女にはトップスタァを目指して共に戦った仲間がいる。そして仲間の舞台少女は、彼女に皆つながっているという誠実なメッセージを突きつける。この回が魅力的に映るのは、それぞれのエピソードで9人の舞台少女の人間的な部分を描き、各々が決闘を通じて成長してきたことをしっかり描いてくれたからだろう。自身の弱点を認め挫折から立ち直り成長すること、すなわち「再生産」というテーマはこの物語がずっと訴えてきたものであり、この回はクライマックス手前として圧倒的な説得力を持っている。全体を通してみたとき、舞台少女たちの成長物語や絆といった、非常に分かりやすくて太い芯を最後まで貫き通した物語であることが分かる。

総評

 とにかく、現実(ストーリー)とファンタジーな舞台との包括を可能にする『レヴュー』の構造が秀逸。さらに、それをメタ構造とした結果、エンタメ性も増している。独自性というのは、こういう作品にこそ現れるものだ。



評価:★★★★★★★★★☆