波路を築く

アニメの感想&批評

屍姫 

謎のアニメ化

概要

はじめに

 原作未読。本作は第一部の『屍姫 赫』と第二部の『屍姫 玄』によって構成されている。それぞれ13話ずつであるが、第26話はテレビ未放送話である。このレビューにおいては、本作を全26話の一つの作品とみなす。ちなみに、第13話は大部分が総集編のような内容であり、第26話はサイドストーリー的な回である。

設定

 舞台は架空の日本。人間が強い未練を残して死亡したとき、生き返ることがある。その動く死体を「屍」という。屍は多くの場合、理性を失い生きた人間を襲う。屍は脳以外の場所を再生できる脅威の再生力を持っている。その屍を狩る屍が存在し、それを「屍姫」という。屍姫は、「光言宗」という組織によって屍から造られ、戒律のもと光言宗の僧侶と契約することで屍姫として動くことが出来る。

 上述の設定から分かるように、本作は典型的なゾンビ物である。しかし、本作には明らかに不自然な設定が存在する。それは、大衆にとって屍の存在は知られておらず、噂程度にとどまっているという設定だ。これは作中でも明言されている。この設定が如何に問題であるかを、「必然性」「ホラーアクション」という二つの観点から説明していこう。

 一つ目の「必然性」ついて。本作において、大衆にとって屍=オカルトという認識がなされている状況はあまりにも無理がある。リアリティの欠落の要因を実際に列挙するとなると、枚挙にいとまがない。人知を超えた身体能力を持つ化物が都会の街の上空を飛んでいる、葬式中に棺の中の死人が生き返る、不可解な死亡事件が頻発している、これらの事実を前にしても大衆は屍の存在を疑いもしない。さらに、屍を利用する宗教が存在する、それを信じる一般人もいる、屍を利用して金を稼ぐ裏社会の人間もいる、といった描写もあり、根本的な設定との矛盾が起こる始末である。

 結局、作り手が個人と組織の上に成り立つ社会を描かないという逃げの手法を取ったに過ぎないのだ。そしてこれが枷になって、連鎖的に強引な展開が多発し、それを無駄に入り組んだ設定を用意することにより何とか体裁を保とうとしている。つまり、設定や展開に必然性が無いのだ。このようなことになるくらいなら、屍=オカルトという設定は早急に却下すべきだっただろう。それでも、ここで述べた問題は後述するものと比べれば些細なものである。

ホラーアクション

 本作を「ホラーアクション」作品としてみたときも、上記の設定による弊害は大きい。すなわち、「緊迫感が失われる」ということだ。これは、ホラーを売りにしているはずの本作にあってはならない事態である。なぜ緊迫感が失われるのか。一番の要因は、屍=オカルトという設定上、人間を襲う屍から逃げ惑う大衆を描くことができないということだろう。元来ゾンビ(屍)の恐ろしさというのは、無差別に人間を襲う攻撃性、それでいて意思疎通が不可能な点、脅威の再生力など、人間離れした特徴に起因する。だが本作は、屍が無差別に人間を襲うという描写はない。それもそのはず、作者視点では屍の存在を大衆に明かすわけにはいかないのだから。そのため、大衆の命を守れるかどうかという緊張感が生み出せないのである。また、本作に登場する屍は理性のある意思疎通可能なものばかりだ。敵役の「七星」という組織に属する屍もその例に漏れない。結果、登場する屍はもはや悪役の人間でしかなく、ゾンビ物というジャンルを生かしきれないでいる。屍は一般人を襲わない、大衆はパニックになることはない、屍との会話は可能、屍を目の前にするのは、基本的に屍について知り尽くしている光言宗の人間......。こんなので、どうやってゾンビ物特有の緊迫感を生み出せるのだろうか。

 本作には、アクション要素を多分に含む作品として、もう一つ看過できない点が存在する。それは、主人公とそのヒロインの屍姫のCVのレベルが低いということだ。いや、低いというレベルではない。もはや学芸会レベルで酷い。いくら素人声優とはいえ、事前にいくらでもトレーニングさせる機会はあったはずである。ほかのアニメで演じている多くの素人声優よりも、輪にかけて酷いということは、演技の鍛錬が十分でないということだ。アクションシーンの特性上、声を張っての会話、掛け声、決め台詞が多く、それが上手く決まれば場面を盛り上げる効果が期待できる。しかし本作は、どんなに迫力のあるアクションの作画を見せつけられてもセリフが挿入されるたびにテンションが下がっていく。本当にアニメスタッフらは良いものを作ろうとしていたのだろうかと疑問に思う。

センス

 本作は、独自の設定や専門用語が多く、基本的な設定の提示の時間が多く必要である。そこで本作では、ナレーションを用いずに登場人物のセリフで設定を説明している。これ自体は何も問題ない。ただ問題は、その説明の多くが全くもって自然でないことである。例えば、登場人物にとって余裕のない緊迫した状況でも、長々とセリフによる説明をする。戦闘で押されている敵役がわざわざ相手の能力を説明する、といった具合にだ。一応、屍について何も知らない主人公を傍に置き、主人公に教えるという体で説明をするという工夫もあるにはある。だが実際問題、説明を誰に喋っているというわけでもなく、完全に視聴者に向けたものとしか思えない場合がほとんどである。結局、本作は第十三話で、総集編のごとくナレーションによる基本設定の説明をしている。ならば最初からナレーションで良かっただろうに。

 そして、補足的な説明が開示されるタイミングも違和感の大きいものが多い。これも一つ例を挙げてみよう。男性は屍姫(屍を狩る屍)とはなれないのか、だとすればなぜ若い女性に限られるのか、といった疑問は、視聴者の多くが序盤の段階で浮かぶだろう。また、男性の屍姫の存在可能性が示唆される発言が、第一部の段階で複数ある。一応、これらの問いに対する答えは用意してあった。だが、屍姫若い女性に限られるという事実が判明したのは第十八話で、そのからくりが説明されたのは第二十四話である。いや、遅すぎる。しかも、第一部から謎を引っ張り続けているぶん、結果的に肩透かしを食らった気分になる。あくまでこれは一例に過ぎないのだが、このような具合で終盤に様々な情報の開示がされていく。それによる弊害は一目瞭然だ。説明に時間をかける必要があるため、終盤の展開が一時停止してしまう。つまり、説明を聞いている時間がシンプルに面白くないということになりかねない。説明と面白さは全く関連しないとまでは言わないが、本作の場合、タイミング的に今やることかと冷めてしまう。説明が全て面白いならば、百科事典は傑作小説になってしまうだろう。

 要するに、脚本にセンスがないのだ。本作のとあるセリフ回しがどうも気になってしまったので、一つ紹介しよう。作中の登場人物が、生命エネルギーが十分に供給されず、弱った屍姫を「空気の抜けた風船」と評していた。言いたいことは分かるのだが......。空気の抜けた風船って何だよ。じゃあ空気の入った風船が本来の屍姫なのか? 弱そう。火薬のない戦車とか、刀を持たない武士とか、素人なりにもいくらか考え付く。思わず首を傾げるような違和感を感じるのは、この1フレーズに限らない。そして、その一つ一つは非常に細かい問題なのだが、その積み重ねが結果的に作品のクオリティを決定づけてしまっているのだ。

ストーリー

 だが、肝心のストーリーが面白ければそれはそれでよい。一応、第一部はバトルものとして対立構造は明確で、終盤の展開を盛り上げるために丁寧に話を運んでおり好感が持てる。逆に、CVやその他細かい点が気になりさえしなければ盛り上がっていただろうにと、残念な気持ちにはなるのだが。ただ、全体を通してみたとき、ストーリーの完成度は低い。特に、第二部は冗長な展開が続き、話は横道に逸れてしまっており、主人公たちの成長物語としても中途半端。そして、ストーリーはゾンビ物であることの利点を生かせず、結局本作の訴えたいものが何もないという由々しき事態に陥っている。

 そもそも、本作が何をメインテーマとしているのかがいまいち分からない。「生と死」という観点から、屍姫は生きた人間として扱うべきか、屍姫と人間との間に友情や恋愛感情は生まれるのか、などといった問題提起をし、それに対して答えを与えようとしていたのだろう。だが、結局何らかの決着がついたのかと問われれば、否だ。一応、「屍姫は異形であって人間ではない」と結論付け、屍姫と人間を同一視しないと決意した僧侶の話もあった。ただ、それはあくまで副次的なものに過ぎない。そして本作は、ずっと主人公たちの敵として描かれてきた「七星」との戦いに終止符が打たれないまま、全くの中途半端に終わってしまってしまう。「続きは原作で」のパターンではあるのだが、わざわざ二クールもかけて何一つ決着がついていないというのは如何なものだろうか。そもそも、七星との決着がつけられないならなぜアニメ化しようと思ったのか、そこが不明である。

 七星に属する屍は、普通の屍とは異なる性質を持っている。それは、自分ではどうしようもない人間の根本、つまり「性(=さが)」を生きる原動力にしているということだ。彼らの言い分によると、動物的な衝動のままに生きることが真の人間だと説いている。従来の屍よりも強いのも、性を原動力にしているためというからくりだ。だが、そもそも人間は時にそういった衝動を抑え、常に思考して生きている動物なので、あまりにも極端な理論である。そして、七星の屍は自身の目的の遂行のために超人的な力を行使するという、単なるワガママな存在なので魅力の欠片もない。これについては、主人公とヒロインの屍姫も同様の問題を抱えており、彼らも大義名分を掲げるというよりは個人的な欲求で動いている。これらの状況を俯瞰してみると、登場人物それぞれが個別の利益のために対立しており、七星の「思想」に向き合ったストーリーがすっぽりと抜け落ちていることが分かる。そのため、恐らく本作がテーマとして描こうとした「人間的な生き方」に関するメッセージは何一つ読み取れないのだ。これでは、どんなに工夫を凝らそうとも陳腐なドラマしか生まれないだろう。

フレッシュ

 第二部に入って、「フレッシュ」という名前の屍姫が登場する。生前の彼女は外国生まれで、秋葉原が好きなオタクであり、常に肌の多くをさらけ出すコスプレのような服装をしている。仏教的な舞台背景が形成されている本作で、なぜ世界観に悉く合わないキャラクターを登場させているのか。答えは他でもなく、視聴者に媚びるためである。しかも、彼女は原作には登場しないアニメ限定のオリジナルキャラクターだ。本作のストーリーは基本的に暗いため、少しでも場を明るくしようというアニメ制作側の配慮があったのだろう。だが、フレッシュは突然登場しては空気の読まないギャグを連発し、またストーリーにも関与しないため、常に場から浮いている。そのため、存在意義がないどころか、デメリットしかもたらしていない。やはり、本作のアニメスタッフは努力の方向性を間違っていると言わざるを得ない。

総評

 原作を読んだことはないが、アニメ制作側のやりようはいくらでもあったと言い切れる。



評価:★★★☆☆☆☆☆☆☆