波路を築く

アニメの感想&批評

美少年探偵団 

若者向けエンターテイメント

 

基本情報

  • 2021年 春アニメ
  • 小説原作(西尾維新
  • 全12話
  • 総監督:新房昭之
  • 監督:大谷肇
  • シリーズ構成:東冨耶子、新房昭之
  • アニメーション制作:シャフト

 

はじめに

 「物語シリーズ」でお馴染みの新房昭之監督と原作の西尾維新のコンビが、全く別の作品となって登場。学園の謎の団体「美少年探偵団」が様々な事件を解決する青春ミステリー。ちなみに、各話のサブタイトルは推理小説家:江戸川乱歩の著作のタイトルを引用している。

アニメーション

 本作は俗に言う「シャフト演出」を用いた作品である。シャフト演出とは、本作の監督を務めている新房昭之が確立したとされる、特殊な配色やアングルの静止画や、素早いカット割りなどを多用するアニメ演出のことだ。しかし、それを効果的な演出として映像的に認めるかどうかは別問題である。そもそも演出とは、脚本で描かれている心理・状況描写を視覚的な情報によって増幅させるための工夫であるはずだ。だが、シャフト演出はあくまでインパクト重視であり、状況描写の工夫を画的に表現することを意図していない。そしてそれが繰り返されるとなると、視聴者は確実に飽きる。そのため、この挑戦的な演出の是非は、作品との相性と演出の匙加減に大きく左右されることになる。

 まず、十年代前後の新房監督作品(例:『ひだまりスケッチ』)よりはかなりマイルドである。比較対象が酷すぎるのもあるが、特に会話劇中で視聴者を飽きさせないレイアウト、カットの工夫は以前より増加し、シャフト演出を控えめにすることで演出のくどさが減っている。また、本作はファンタジー要素を僅かに交えた伝奇的な学園・青春ミステリーなのだが、鮮やかな彩色や記号的な演出などによって、世界観の持つ「非日常感」を巧みに表現している。だが、視聴するにつれて演出に面倒臭さを覚えるのもまた事実である。強烈なインパクトを残そうとしたがために過剰な演出となって、意図せず完全にギャグと化してしまっている部分もある。とまあ、本来はデメリットばかりを生むシャフト演出を、世界観の表現に一役買わせることによって一長一短に仕上げているという意味では、一つ評価できるポイントである。

 偏に本作はミステリー的要素を多分に含む作品なので、会話劇を中心とした推理パートにそれなりの尺を割いている。そこで、作品全体のクオリティ向上に確実に貢献しているのが、アコースティックな音源を使用した劇伴である。「非日常感」とあるように、誇張された世界観とウィットに富んだ会話劇には、オーケストラアレンジやジャズ風の楽曲が上手くマッチしている。このように、小説原作のアニメ化に際し、主にシャフト演出や劇伴によって世界観の統一感を高めているのは、新房監督の過去作にはなかなか見られなかった特徴だ。

美少年探偵団

 男子小中学生五人による謎の団体「美少年探偵団」は、学園の非公式組織。「一、美しくあること 二、少年であること 三、探偵であること 四、チームであること」の四つの団則に基づき活動している。ここで気になるのが、探偵とチームはともかく「美しい」と「少年である」という単語の曖昧さである。

 実際のところ、「美しい」や「美しくない」という言葉は、幾度となく主人公や団長から発せられるため、一義的な結論は出せない(が、メインテーマとなる「美しい」は存在する)。例えば、とある事件や謎の動機を考える上で、主体の自己犠牲の精神が垣間見える仮説は美しいと言うし、性悪説のように、初めから人に悪気があったと推理するのは美しくない、などといったところだ。その中でも注目したいのは、「どのような人間」が「美しい」かだ。第一話では、「夢を追うことは美しい。だが、夢をあきらめることもまた、同様に美しい。ただし、自ら諦めた場合に限る」と団長が述べている。つまり、美少年探偵団の団員として在るべき姿は「夢を追う」、広げて解釈すれば「理想を追う」者であるということだ。成る程、多くを占める推理パートでは、理想的に(ロマンチックに)物事を捉えようとする主人公たちの姿が肯定的に描かれている。一方、「少年である」については比較的明確だ。その意味は、「子供心を忘れないこと」、「何度でも夢を見ること」と序盤で述べられている。

 さて、この時点で一つ明らかになったことがある。それは、本作における「美少年」の解釈では、外見ないし生物学的な性差による障壁が一切取り除かれているということだ。本作の主人公は、作中で美少年探偵団に所属することになる女性中学生である。この構造だけを見ると、周りが美男子だらけでヒロインが一人という、俗に言う「乙女ゲーム」そのものだ。しかし、乙女ゲームセクシュアリティ(生物学的な性の概念)が反映されているのに対し、本作ではそれが排されている。また、外見についても、美少年探偵団の団員が美形であるかどうかは皆目関係ない。すなわち、「美少年」とは全ての人間が持ちうる精神的な概念であり、そこに見た目や性といった価値基準が入り込む余地はない。割り切って言ってしまえば、美少年探偵団のメンバーが美形でなくても、はたまた女性であっても成り立つのである。そのため、本作のビジュアルだけで女性向け作品だと判断すると、それはそれで痛い目に合うだろう。

青春ミステリー

 本作は二~三話完結型の五部構成で、それぞれ異なる謎や事件に立ち向かう美少年探偵団の姿を描いた、所謂ミステリー物に属する作品である。ミステリーの評価基準としては、トリックの斬新さ、ヒントの出し方の的確さ、動機に共感できるかなどが考えられるだろう。ただ、ここでは後述の理由からあまり詳しくは論じることはしないが、少し問題点を指摘したい。それは、主人公の「並外れた視力の高さ」という要素による、ヒントの出し方についてだ。問題なのは、「目」による情報開示が推理の終盤の方であり、しかもそれが今までの推理を覆す大発見である場合が何度かあるということである。これでは、真相に至るまでの過程が実質一瞬であり、今までの推理は何だったのかと拍子抜けしてしまう。普通なら、能力を活かして得た情報をもとに推理をし、少しずつ真相に辿りつこうとするだろう。確かに、本作が重きを置いているのは、あくまで中学生の青春物語だ。その点で言えば、ミステリーの質を論じるよりも、事件や謎に立ち向かうイベントの背後にある心理的ストーリーに注目した方が有意義なのは間違いない。しかし、だからと言ってミステリー要素を見くびってはならない。

 その一方で、事件を解決するイベントと、背後の心理的ストーリーとの結びつきは固いと言えよう。第一部。主人公は十年前に暗黒星を見て以来、その星に旅立つために宇宙飛行士になりたいと願う。だが、その星を二度と見つけることは無かった。さらに、中学生となった現在、「目」の理由からその夢が叶わないことも自覚しており、自分の夢が醜いとさえ感じていた。それでも星を探し続けた主人公は、星の探索を美少年探偵団に依頼する。十年間追い続けた夢を諦めることへの後ろめたさを感じている主人公。そんな彼女が、美少年探偵団との星探しや推理を経て、「夢を追い続ける姿勢」と「夢を諦めること」を肯定し、自身の夢を諦める。そこで主人公は、再び夢を見つけるための場所として、美少年探偵団に入団を決める。

 第三部。ここでは詳しくは述べないが、提示される二つの謎は、いずれも「大切なものは目に見えない」がキーワードとなっている。美少年探偵団のメンバーとしてどこかやり辛さを覚えていた主人公。彼女は、無意識下にメンバーとの距離を置き、自分を卑下することもあった。だが、最終的にはメンバーとの仲間意識、つまり「目に見えない大切なもの」を持ち、互いに気を遣わないチームの仲間として、真に美少年探偵団の一員となる。ご覧のように、本作のミステリーは単体で完結せず、同時に進行する青春物語と織り交ぜることによって、ストーリーに厚みを持たせている。このような多層的な構造が組まれて初めて「青春ミステリー」と呼ぶことが出来るのだ。
 

終盤

 ここまで来たら、本作のメインターゲット層は明確だ。ズバリ、中学生の男女、もっと広げれば若者向けといったところか。先ほども指摘した通り、決して女性向けなどではなく、全ての若者に向けて普遍的なメッセージを投げかけている。果たして、本作のメインテーマとなる「美しい」の定義とは一体どういうものなのか。

 結論から言えば、「含羞を込めて昔を語れるような、思い出となる今を生きる」ことを「美しい」としている。これが詳細に語られるのが、第五部だ。第五部は、主人公の生徒会長選とひき逃げ事件が並行するストーリーである。美少年探偵団はひき逃げ犯を突き止めることになるのだが、一方で生徒会長候補者として立候補すると主人公に身の危険があることを知る。団長は主人公に向けてこう言う。「もうやめようか(中略)こんなのは、子供の遊びなのだから」と。だが、主人公は「絶対やめない。こんなのは子供の遊びなんだから」と反対する。つまり、子供の遊びを「美しい」と肯定した上で、美少年探偵団の一員として常識よりも美学を選んだのだ。美少年探偵団の一員として生きることが主人公の成長に直結するストーリーは描かれているため、この選択には説得力が生まれている。また、恒久的な成長否定にならないよう、子供の遊びは美少年探偵団にいるうちだけだとしている。「美少年探偵団」という子供の遊びは、含羞を込めて語れるような青春のひと時であり、だからこそ「美しい」のだ。

 しかし、ストーリー全体を見渡したときに、一つ看過できない問題がある。何がというと、常識よりも美学を選ぶことの正当性を問う場面が少ないのである。言い換えれば、大人の視点が足りていないということだ。確かに、仲間と何かを成し遂げたり楽しい時間を過ごしたりといった青春を送ることは大切だ。若かりし頃の時間は何よりも貴重である。だが、美少年探偵団の面々が自己完結的にこの結論を出すとなると、同じ年齢層の周りに向かって上から目線で説教するという、俗に言う「お前が言うな」状態になりかねない。一応本作は、そうならないための工夫として団長の兄というキャラクターを登場させている。彼は美少年探偵団の元団長であり、言わば「お遊戯」を卒業した高校生だ。彼に出会った主人公は、美少年探偵団の時間が今しかないかけがえのないものだと実感する。しかし、その「美少年探偵団」を良しとするかどうかの吟味が足りていないのだ。やはり、「子供の遊び」を正当化させるために、もっと彼や他の大人の存在を介して話を進めていくべきだっただろう。

総評

 まずまずの青春ミステリー。ただし、重きを置いているのは、ミステリーよりも心理的ストーリーである。



評価:★★★★★★★☆☆☆