波路を築く

アニメの感想&批評

BLUE REFLECTION RAY/澪

ヘンテコ

 

基本情報

  • 2021年 春アニメ、夏アニメ
  • 監督:吉田りさこ
  • シリーズ構成:和場明子
  • 原作(ゲーム):BLUE REFLECTION 幻に舞う少女の剣
  • 全二十四話
  • 音楽:篠田大介
  • アニメ―ション制作:J.C.STAFF

 

はじめに

 原作ゲームの世界観を基盤として新たな設定が付け加わり、アニメオリジナルの展開が描かれる。キャラクターの多くは原作ゲームには出てこない。キャラクターデザインは岸田メル。脚本には、今敏作品で名を馳せた水上清資も参加している。
 

低予算

 プロローグ。怪物と戦っている二人の魔法少女。彼女らが主人公かと思えば、裏のポエムは別のキャラクターの声。本編が始まると、学園生活の光景が映し出される。そのまま、雑なモンタージュで視点が高速で移り変わり、誰の視点にも立てないまま第一話の前半が終了する。世界観も主人公も不明のままだ。別に全てを説明しろとは言わないが、最低限の情報の明示すらも出来ていない。視聴者が作品世界に対して信頼できる視点が存在して初めて、伏線や謎が牛耳を集めるのだ。

 一目で分かる低予算アニメである。不安定なキャラデザや、動かない戦闘描写などを見るに、とても2クールも持ちそうにない。この手の作品は、レイアウト、演出などといった映像に関わる要素全般も低品質になりがちであり、シナリオにまで悪影響を及ぼすことも多い。事実、この第一話は話が進んだ後に見返すと理解は出来るのだが、初見の視聴者に対しては明らかに不親切である。

 しかしあろうことか、本作はその後の展開で追い上げを見せ、良い意味で味のある作品になっている。俗に言うと、一部の好事家に愛される「B級アニメ」である。ただの駄作との違いを明確にしておくと、制作スタッフが「その作品に対して真摯に向き合っているかどうか」の部分が大きい。つまり本作は、真面目に良い物を作り上げようとする制作側の「作品への愛情」が感じられる作品である。粗は多いが確かに光る部分が多く、むしろそのダメさ加減すらも愛しく感じられる様相は、まさに「B級アニメ」そのものだ。そのため、面白いかつまらないかで言えば、間違いなく面白い。
 

奇抜

 まずは映像表現について。所々の安っぽさはいかにも低予算アニメらしいが、登場人物を切り取るフレームや、小物や背景のカット、その他の演出によって、脚本の心理・情景描写を強調しようとする工夫の痕跡が随所に見られる。これはすなわち、ストーリー上で何を重視すべきか理解しているということでもあり、低予算ながらも工夫出来るところはするという制作側の気概を感じる。ただ、劇伴の使い方はどうにかならなかったものか。

 続いて、随所に表れる(シュール)ギャグの数々である。脱力感を感じさせる会話・描写が丁度良い間隔で挿入され、実際にファンからは「名(迷)場面」としてまとめ上げられている。この作風は、キャラクターの「弱さ」や「意外性」をユーモラスに描くのにもうってつけであり、実際に多面的で奥行きのあるキャラクターもいる。一方で、底の浅い狂人を表層的に演出された「駒川詩」は(続編のゲームでは深く掘り下げられる)、テーマを語るうえでの敵役、狂言回し、ギャグキャラのいずれとしても重要な役割を果たしている。こういった特異なキャラクターを違和感なく受け入れられる懐の広さも本作の特徴だ。

 映像表現とキャラクターの魅力が直結した好例に、「山田仁菜」というキャラクターがいる。彼女はシングルマザーの一人娘であり、幼い頃から母親による虐待を受けていた。彼女は母を憎んでいながらも、一方で母の経済的・精神的な辛さを理解しており、同時に母を敬愛していた。そんな彼女は、母を亡くした後も、母に対するアンビバレントな感情に囚われ続けることになる。その感情のループから脱出することが本当の意味での彼女の成長となるのだが、その過程をほとんど台詞で説明することなく、「中身が空のキャリーケース」というガジェットを使って効果的に表現している。このように、映像表現としてもストーリーとしても、面白く深みのあるものが出来上がっている。間違いなく、本作を代表する良キャラである。
 

設定

 遅ればせながら、基本設定を見ていこう。「リフレクター」は、想いの力を増幅することで能力を発揮することのできる存在。リフレクターに変身することが出来るのは、強い想いの力を持った選ばれた少女だけである。「フラグメント」は、少女たちの想いの欠片が結晶化したものであり、リフレクター以外の人間には触れることが出来ない。少女の体からリフレクターが引き抜かれると、少女の「想い」は失われる。

 原作ゲームとの大きな違いは、少女の集団の外にあるものを徹底的に脇に追いやっているという点である。例えば、プロローグで出てきた怪物は、原作では「立ち向かうべき敵キャラ」であるが、本作においてはただの舞台背景に過ぎない。少女たちに力を与えた組織については、あくまで裏設定に留めている。などなど。要するに、世界観の「縮小化」を狙っているのだが、その試みは間違いなく作品を良い方向に導いている。まず、限定された世界の中で設定が完結しているという点。その範囲の中では、キャラクターが何をやっても世界観の均衡が保たれるのである。非常に安定した世界観なので、物語への没入感は確実に高まる。続いて、対立構造が「人と人」になっているという点。ズバリ、自身を苦しめる想いを抜き取ろうとする側(敵側)と、それを食い止める側(主人公側)の対立である。SFでも取り上げられることの多いテーマだが、それは「記憶の消去」による精神医療の倫理的問題に通じているからだ。すなわち、双方の思想にそれぞれ納得できるだけの理由がある。ある者は主人公に問う。これからも苦しい想いを抱えて生きていかなくてはならないのか、と。それに対して、主人公は思い悩む。このように、特に主人公側は批判的な視点を踏まえつつ、何度も問答を繰り返しながら自身の立場の正当性を裏付けようとする姿が描かれている。つまり、それだけこのテーマに真摯に向き合っているということだ。むしろ、簡単に結論を出せる方が嘘くさい。また、個々のエピソードも本作のテーマと相補的な関係にあり、動かない戦闘シーンでも会話劇で上手く盛り上げている。見栄えは悪いが、見応えはある。
 

後半クール

 ところが、これらはあくまで基本設定に忠実な部分(主に前半クール)の話で、ここから本作は急激にパワーダウンする。確かに、予兆はあった。まず、敵側はある目的のために多くのフラグメントを集める必要があったという点。前述したテーマは、「辛い想いを抜くことを自ら容認していた人間」が対象だったから成り立っていたものだ。しかし、敵側が無差別的にフラグメントを抜こうとするという展開もあり、それはもう立派なテロ行為である。次に、「フラグメントを抜かれた者はやがて深い眠りにつく」という後付け設定。なぜ、こんな邪魔な設定を用意したのか。まあ、特定のキャラクターを退場させるご都合主義のためなのだが、注目すべき部分は、想いを抜いてもらうか否かに新たな判断基準が付随してしまう点だ。実際、前半部でフラグメントを抜いてもらった少女が、命の危険を顧みて想いを戻して欲しいと頼み込むという展開が起こる。そりゃそうだ。「苦しい想い」と「命の危険」を天秤にかけて後者を選ぶ人間が一体どれほどいるのか。敵側の「善意」に納得出来るのが強みだったのに、それが殺人行為となってしまうと、前半で積み上げたテーマが意味をなさないだろう。

 敵側の目的は、「少女たちが苦しい想いをしないために集合的無意識ユング心理学のそれとは全くの別物)により形成された世界を管理する」というものであった。深夜アニメでは、このように集合的無意識の安売りが頻発する。さて、この時点で、世界観を縮小化した利点などとうに消え失せていることにお気づきだろうか。話のスケールだけは肥大化する一方で、キャラクターの思惑が個人の問題に矮小化されている。つまり、対立構造にテーマ性を見出せない。これでは、どう頑張っても薄っぺらな作品しか出来上がらない。また、話の中心軸がブレているということは、個々のエピソード間の関係性が薄くなるということでもあり、単純に話も盛り上がりづらい。主人公とその姉の間の確執を描いた第十七話~第二十話はその典型である。
 

最終盤

 第二十三話。精神世界でバトルという、原作ゲームに寄せた展開が起こる。内容的には各キャラクターのエピソードの総集編に近いが、その世界観も相まって、より陳腐になってしまっている。最終回はラスボス:水崎紫乃のエピソードになるが、対話で解決しようとする方向性は正解である。結局、精神世界などいらなかったのだ。ストーリーとしては、幼い頃から洗脳教育を耐え凌ぎ、首の皮一枚で自我を保っていた少女が、主人公たちの後押しによってニヒリズムを乗り越えることが出来た、といったところか。しかし、今の今まで破滅願望を露わにしていた彼女がそう簡単に丸くなるのかと、最後の最後でロジックを放棄した感は否めない。

 本作のメッセージを要約すると、「自分の想いは自分だけのもので、決して手放してはならない。苦しい想いを抱えた人には、きちんと寄り添うことできっと支えになるはずだ」である。何も間違ったことは訴えていないし、前半クールで残された課題である、「苦しい想いを抱えた人」に対する答えも明示されている。しかし、これが十分に作品のテーマとして昇華されているかというと怪しい。なぜなら、主人公が「寄り添う」対象として、最も色濃く描かれている紫乃は、過去に親からあまりにも胸糞悪い仕打ちを受けており、そのまま破滅に直行しているからだ。つまり、破滅に至る過程の葛藤をすっ飛ばしてしまっているのである。しかも、悲劇のインパクトを重視するあまり、話自体の現実味も薄れている。では、どうすれば良かったのか。やはり、自身の境遇や環境よってではなく、内面的問題によって苦しんでいる存在を描くべきだっただろう。事実、本作のキャラクターの駒川詩や山田仁菜ではそれが描けているではないか。その方が、自らのアイデンティティに対する葛藤が描きやすいだろうし、その境遇を経験していない多数が共感しやすいような、訴求力の高い作品になっていたはずだ。
 

総評

 作画は慣れるからいいものの、ストーリーに大きな欠点を抱えているため、必然的に評価は低くなる。特に、後半クールが大きく足を引っ張ってしまっている。しかし、絶妙なヘンテコ感が他にない独特な味わいを醸し出しているのも事実だ。そういった意味で、長く記憶に残りやすい作品である。
 


評価:★★★★★★☆☆☆☆