波路を築く

アニメの感想&批評

歌詞から物語を推測してみる -序章-

無数に存在する曲の中で、経験値の無さから日本語しか上手く読み取れない悔しさを噛みしめながら、同時にその美しさや面白さの可能性を探る行為への果てしなさを実感する日々。ああ、これなら創作の海の中で一生楽しめるだろうなあと期待を抱いている。音楽という、大体のものは五分前後の時間的枠組みに抑えられたものの中で、「歌詞」というものは所詮一つの因子に過ぎないものだが、それだけでも我々の想像をはるか超える自由さを持っている。まあ、古くから日本では俳句という十七字にわびさびを精一杯詰め込んで楽しんでいる歴史があるし、それが何十文字、何百文字となれば表現方法はより千差万別なのだ。......  なはも
 

 という語りは置いておくとして、注目すべきは「良い歌詞とは何か」である

 まず処理しておきたいのが、「そもそも歌詞に良いも悪いもないだろ」という意見について。この言葉の意味するところは大まかに二種類あると思われるので、一個ずつ見ていこう。

 一つ目が、おそらく少数の人間にしか当てはまらないが、歌詞の良し悪しといった概念そのものが無く、比較検討することを無意識的に回避しているタイプである。つまり、人の魂がこもっているものはすべからく尊いもので、それを受けとめる側の視点というものがないまま、短絡的にそういった思考にたどり着く人間が用いるコンテクストだ。しかし、音楽(楽曲)は創作物である以上、不特定多数に聴かれることが前提であるし、他者からの評価は避けて通れない。もちろん、他者からの評価を受けたいというわけではない創作者もいるだろうが、作品を外部に発信するという勇気を持った行動には、大体は「触れて欲しい」という切実な願いあってのものではないかと考える。それゆえ、本ブログで執り行われる「評価」は創作に対する敬意を持った上での行為であるとご留意願いたい。

 二つ目が、聴き手それぞれの心にどれだけ響いたかが最も大事であって、結局は好みの問題でしかないという意味である。別に、本項ではその姿勢を否定しているわけではない。(というか、普段聴いている音楽って大半は俺が好きなタイプの曲だし。)しかし、理論や技法的な意味での良し悪しは判定できるのではないだろうかということである。つまり、好みと理論を切り離そうという試みである。当然、俺にはこれを客観的に伝えようとする努力・姿勢があってこそであり、適当なことを言いようもんならバッシングされて然るべきだ。それゆえ、読み手視点で間違っていると感じたならば、いつでも議論をふっかけてくださいというスタンスでやっていく。

 だが、そんな目くじらを立てるほどの内容を書くつもりはない。そもそも批判的な内容はほとんど書かないつもりである。なぜなら本項では、数多存在する曲の、自分が特に感動したものをピックアップするに過ぎないからだ。普通にリラックスして読んでくれれば問題ない。
 

重視するポイント

 前提として、「歌詞から物語を推測する」が本題であることをご理解いただきたい。すなわち、歌詞を記号的な音声として一元的に解釈するのではなく、そこに物語(ストーリー)が宿っていると考えられるものを対象にしている。
 以下の4つの観点を中心に見ていこう。

  • テーマの普遍性・一貫性
  • 音との親和性
  • 自然さ
  • イデア

 

テーマの普遍性・一貫性

 アニメ批評やストーリー解析で散々重視してきた(これからも重視することになるだろう)観点である。数多くの人間が共感できるか、あるいは特異な状況の中で組み込まれた物語の主人公の視点に立って共感することができるか、一曲の中で主張が曲がっていないか、総合的に見てリアリティがあるか......。
 具体的な評価基準は無いが、その場その場で適切な表現がなされているか、それが重要である。
 

音との親和性

 主に、曲調、展開、旋律と言葉の相性。心に響く曲というのは、母音だけで歌っても大体良いものだ。
 

自然さ

 ワードセンス、語彙、雰囲気の作り方、そういった要素を磨き上げていく中で、わざとらしくない、それっぽさが出ているかどうか。理詰めで考えるのはやや難しいが、間違いなく重要な要素である。
 

イデア

 何かしら目新しい要素があって、それが明確に曲の美点として現れているか。
 

物語

 もう一度言うが、最大の目標は「歌詞から物語を推測する」である。よって、曲のコンセプトによってはこの行為自体が無意味であり、対象となる曲はむしろ少ない。歌詞が作られていくなかで、まさしく物語の予感が感じられるような、そういうように確信をもって推定されるもののみをピックする。
 

余談


 

虚構推理

ネット社会への警鐘

 

基本情報

  • 2020年 冬アニメ
  • 監督:後藤圭二
  • シリーズ構成:高木登
  • 原作(小説・漫画):虚構推理
  • 全十二話
  • 音楽:眞鍋昭大
  • アニメ―ション制作:ブレインズ・ベース

 

はじめに

 アニメ版は小説のコミカライズ版をもとに再編集されている。主人公の岩永琴子は、「虚構推理」によって怪異にまつわる事件を解決していく。
 

虚構

 ミステリー作品によくある「街の人を名探偵に仕立て上げる」系の作品である。主人公は女子高生(後に大学生になる)であるが、このような一般人が刑事事件の捜査に関わること自体が越権行為であるため、その展開にいかに説得力を持たせられるかに作者の腕が問われてくる。

 とある事件を経て、怪異から「知恵の神」として崇められるようになった主人公は、怪異による数々の悩み相談事を引き受けていた。そんな彼女が、現在の恋人である男性とその元交際相手である女性警官と共に、「鋼人七瀬」という怪異にまつわる事件を解決する。注目すべきは、「一般的には怪異の存在が認知されていないこと」だ。主要人物の三人こそ特殊な事情からその存在を認知するに至るが、大多数はそうでない人間である。そんな中、常識の範疇を超えた怪異にまつわる事件が、時折人々の目に不可解に映るのは避けられない。そこで、その不可解な点を埋めるようにして「虚構の」論理を構築するというのが本作の本題になっている。なるべく怪異の存在を隠すようにして事件を穏便に収束させたい主人公は、刑事事件に関与できる立場である警官と個人的な繋がりを持つ。巧いのは、二人の間で「怪異の存在を隠す」という目的が一致している点であり、普通の女性が事件に関わる過程にも説得力が生まれている。

 余談だが、創作物には、人智を超えたものの存在を知っている人間が、裏で困難に立ち向かうという構図がありふれている。しかし、「怪異の存在が知られていない世界」を描くのは難しい。それも当然、カメラに映れば証拠として残るし、現代の情報の伝達速度は凄まじいからだ。普通なら世界観を成り立たせるために、舞台を辺境の地にするとか、時代設定を古くするとか、怪異の干渉を受けるのはごく一部の人間にするとか何かと工夫を施すが、本作については具体的な基準が見受けられない。むしろ、何も語らないことで上手いこと体裁を保っているように見える。このあたりは人によって評価が大きく分かれるポイントだろう。
 

構成

 アニメ化にあたって、鋼人七瀬事件の前にとあるエピソードが挿入されたのだが、ここに本作の要点が集約されていると言ってもいい。話の内容自体は殺人・死体遺棄事件の真相を探るというものであり、当時現場にいた大蛇(怪異)の疑問を解決することが目標になっている。ここで行われる推理は、状況証拠や証言から考え得る、多岐にわたるシナリオから最も都合の良い結論を導き出すものだ。それゆえ、これらの推理は所詮虚構を構築したものに過ぎず、例え筋が通っていたとしても真実とは限らない。それでも、主人公は何度も推理を繰り返すことで、最終的に大蛇を納得させるに至る。そして、後に繋がる鋼人七瀬事件では、複数の推理をもって人々を納得させる必要性に迫られる。このように、アニメ化に際して大蛇のエピソードを挿入することによって、真実を解き明かすわけではないという本作の方向性や、メインである鋼人七瀬事件における虚構推理の意義が上手く伝わるようになっており、この辺りの構成が極めて「論理的」である。分かりやすいということは、間違いなくエンタメ的にも良い影響を及ぼしている。
 
 鋼人七瀬。それはかつての口裂け女人面犬のような、人々の妄想で語り継がれる都市伝説が具現化したものであった。しかしそれらと違って厄介なのは、情報技術が発達した現代においては、その怪異の名称や噂話、外見的イメージが簡単に共有されることである。それゆえか、短い期間で急激に力を増してきている鋼人七瀬。そんな中、鋼人七瀬が男性警官を撲殺し刑事事件へと発展してしまう。鋼人七瀬を討伐するためには、その元凶である「鋼人七瀬まとめサイト」を閲覧する人々に対して、「鋼人七瀬は存在しないのではないか?」と考えさせる必要があるという。もちろん、それは真実ではない。そのため、鋼人七瀬が真犯人である撲殺事件に対し、「実在する人間」を犯人に仕立て上げ、状況証拠に矛盾しないような犯行の方法を提示しなければならない。しかも、鋼人七瀬の存在感は日に日に大きくなっており、残虐性が増している中で残されたタイムリミットはごくわずかしかない。さすが、人気ミステリー作家なだけあって、これほどまでかと主人公を追い込んでおり、続きが気になる引きになっている。
 

解決編

 具体的な解決方法は本編を見ていただくとして、その一連の流れは驚くほどによく出来ている。「内容が何であれ面白いものに惹かれる」という大衆の心理を起点にした論理展開もそうだが、何よりその心理を利用して二転三転と状況を動かすトリックにはそそるものがある。もとより怪異が起こした事件なので、披露される推理が全て嘘というのも物語性に拍車をかけている。多少のご都合展開については、それを裏付ける設定をきちんと用意している。推理パート全体を終えてみると、無駄なシーンは一切なかったことが明らかになる。確かに、虚構推理一つ一つに注目すると、緻密に計算されたトリックも無ければ数々のヒントが繋がっていく過程も無い。むしろそれを逆手にとって事を解決に導いているくらいだ。それゆえ、ミステリーから逃げたと感じる人もいるだろうが、そこを論じても無意味な行為に過ぎない。なぜなら、不完全な推理による解決というストーリーそのものが本作のテーマと直結しているからだ。つまり、「ネット社会への警鐘」である。

 原作の初版は2011年であり、多くの人々がSNSを利用し始める転換期にあたる。我々が目にする情報量は以前より格段に増し、意識的かどうかに関わらず自分の欲しい情報を優先的に求めるだろう。これは多かれ少なかれ誰しもが経験していることだ。つまり、主人公の手によって踊らされる匿名掲示板の利用者は、インターネットを利用する我々と同種の存在である。時には、エンタメ性を重視したトンデモな妄想がネット社会の間で構築され、反響を呼ぶことだってあるだろう。発言に責任を問わない匿名掲示板の存在が、根拠の無い陰謀論を生み出す空気を助長するというのは、今現在も各所で論じられている命題である。本作はそのようにして生み出された怪物を「鋼人七瀬」という形で具現化している。しかし、それに加担するような大衆は、所詮「面白いもの」に惹かれているに過ぎない。そんな「集団」に対して、主人公は更なる妄想の上書きを図るというストーリーだ。このように、本作はインターネットを利用する無責任な大衆の心理を皮肉的に描いている作品であると同時に、インターネットが帯びる危険性を暗示している。
 

原作小説とアニメ

 以上、本作は斬新な推理方法と現代に通じるテーマを上手く融合させた、完成度の高い作品である。さて、ここでは原作小説との表現の違いを中心に見ていきたい。さして重要でもないためここまで無視していたが、主人公の彼氏、及び鋼人七瀬まとめサイトを立ち上げた張本人は二人とも不死身であり、未来を見る能力を持っている(詳しい設定は省略)。鋼人七瀬事件の推理パートでは、彼ら二人が死んで生き返る描写や、鋼人七瀬事件の被害者などが死亡する描写が繰り返されることとなる。当たり前だが、見ていて気持ちいいものではなく、人によっては強烈な不快感を覚えるだろう。推理パートによる画的なつまらなさを補う目的があったのは分かるが、せめて流血表現は控えめにして欲しかったところだ。

 次に人物面の評価である。主人公は非常にマイペースな性格で頭も切れるが、恋人の前だと度々品の無い言動をとることがある。原作小説の強みでもあるのだが、この二人の会話は知的でウィットに富んでいる。加えて、主人公は一見お嬢様らしい風貌をしているが、その実片目と片足は義眼義足であり、ステッキを持ち歩いているというミステリアスな特徴を有している。このような特異なデザインが映像化される利点は大きく、劇中の二人の会話を聞いているだけで面白いという領域まで引き上げている。ただ、推理パートでは主人公の朗読が繰り返されるが、当時の中堅声優が演じているためであろうか、多少の物足りなさを覚える。第2期放送時にどれほどのものになっているか楽しみだ。

 最後に恋愛に関する描写である。時系列を整理すると、第一話(主人公と男性の初対面時)の二年後に描かれるのが鋼人七瀬事件であり、この時二人は既に交際関係になっている。付き合った後でも男性側のスタンスは第一話から一貫しており、主人公をいい加減に扱うシーンが強調されている。だが最終的には、主人公に対する好意を言葉にするというシーンで締めくくる。まあ、この辺りの心理描写は原作小説(別の巻)でフォローされているのだが、アニメ版全十二話では男性側の言動には唐突感がある。尺的に描けないものは描かなければいいだけだ。せっかくここまで論理的な構成を組み上げてきただけに、この展開は少々残念である。
 

総評

 斬新なミステリーとネット社会が広がる現代に通じるテーマを融合した意欲作である。アニメにはアニメの良さがあるのだが、原作小説のポテンシャルを考慮するとあと少し感が否めないため、評価は厳しめとする。
 


評価:★★★★★★★★☆☆(8)

シャドウバースF 1話~12話 各話感想

2022春アニメになります。
 

第 1 話

新鮮。主人公がシャドバを始める動機が「運命めいたもの」であり、朝のカードゲームアニメとしては、従来の少年漫画的(スポ根的)な文法から外れている。性格は、意を介さない物言いという点では前作と似ているが熱血漢ではない。朝のカードゲームアニメではなかなか見られない。

シャドバが経済の中心となっている架空の日本であるが、過去に起きた事件を解決する手段として、ある意味軍事的に利用されていたのか。具体的な部分はともかく、シャドバがただのエンタメではない実情、その他世界観をお構いなしに見せていくのが、何ともぶっ飛び少年漫画風で痛快。
 

第 2 話

チュートリアル回おそらく前編。単純にドラマ部分の尺を増やせるので、キャラクター性やストーリーの推進力に磨きがかかる。主人公とシノブは互いに「変わり者」と評価していたが、部員の手助けをする一面は両者共通しており、単に変人と形容するにはもったいない人間的魅力がある。

チュートリアル回として個人的に嬉しかったのが、美鬼シノブ(CV.大坪由佳)の声の聴き心地が良いこと。これがアクの強い男性キャラだと疲れそう。第一印象はモノズだったけど。かなり癒しキャラかも。
 

第 3 話

「楽しい」を前面に押し出す感じがいかにも朝のホビーアニメらしく、かつての少年心を思い出させて良い。それとは裏腹に、シノブの造形は独特で、偏物のようで思慮深い、と思えば何か重たい物を抱えているという、盛りだくさんな属性はホビーアニメではなかなか見られないのではないか。

本作、切り札が 2 枚あるのがより戦略性を際立たせて(カードゲーム的に)面白いし、うち一枚のマスコットの「会話できない」という設定により、「会話できる」という点で主人公補正を表現していたりと、単純に作劇が上手い部分もあって、切り札 2 枚はきっと成功だろう。
 

第 4 話

ターン制のバトルを通じて主張がぶつかり合う点が、ゆっくりと力強い進行で演劇チックな要素があり、キャラクターの感情の高鳴りが可視化されるような感じ。ジェントルマンの人となりを、真正面から真実を見抜こうとするライトの姿勢がいかにもバトルアニメの主人公。
 

第 5 話

天然気質な主人公だから正直な物言いのおかげで物語の推進力が増す。デジフレの正体、ライトを監視する謎の人物といった、終盤にかけて回収しそうな謎と、シノブやジェントルマンの成長物語、次の道場破りなどミクロな視点でも期待が生まれる B パートだった。
 
 

第 6 話

成長と共に必然的に生まれる性差、自身の内なるイメージと他者に求められるイメージの乖離、ジュブナイルの定番。「みんな変わってしまった」と嘆くレンだが、それも含めて大人になるということなのだろう。だからこそ、内面の世界を真実に追及する(青春時代の)物語が面白いわけで。

一般的男性のイメージから外れて中性的なイツキは単にヒロインという枠ではなく、この回のために生まれてきたかと思うほどのジャストミートな設定。人物の関係に広がりが生まれて、もっといろんな絡みが見たいと思わせるようなそんな話でした。

追記
ステレオタイプな男性像・女性像の象徴として「かっこいいヒーローに憧れる」、「お花栽培セット」が出てくるのが、なんだか懐かしい感じもする。創作はそれを強要しない寛容さがあるけど、現実、そのような固定観念は既に打ち砕かれているように感じる。(例えば女児向けのプリキュアとかあるし)
 

第 7 話

バトル自体がテーマの「自分らしさ」を象徴するような、クラス特性に限らず、その人自身の持ち味が良く出ている。変に遮って効果を説明するシーンを省いて熱量を持たせる演出が素晴らしく、カードゲームアニメとしても優秀。

結局、タツミとイツキのぶつかり合いは信念の違いでしかないので、どちらが正しいというわけではないのだろう。イツキはレンの恩師ということになるだろうが、初期仲間がそのポジションを早々に得るという進行も、かなり珍しい感じがする。部長としての胆力を見せつけてくれた。
 

第 8 話

本気を出さなければ優秀な兄弟と比べられても言い訳になるから、スバルは逃避しているのだろう。それを(現時点では)明言化せずに、意図的か分からないプレイングミスや対戦中の表情で演出していく描きがいい。

成長物語の「中心人物」がスバルということで、今までのライト→シノブ&ジェントルマン、イツキ→レンとは異なり、他チームのフワリ→身内のスバルという働きかけ。そういう意味では、いずれスバルが誰かを救済してセブンスフレイムに勧誘する展開が来そう。
 

第 9 話

フワリに全てを見透かされてまでも、彼女に「羨ましい」としか言えなかったスバルに対する最後の後押しが天然無垢な主人公の一言だったという展開に、少年のマインドを思い出させる感じで良い。

4 クールの長さを活かしたプロットで論理的な話の組み立てが出来ている印象を受ける。バトルを減らしてドラマ部分を増やしたのは大成功ですね。あとマスカレードゴーストが強すぎてスバルのピンチ感あまりなかった。
 

第 10 話

ハルマに先輩との居場所を潰されたことがトラウマになり諦観を貫くツバサだったが、真っ直ぐに突き進んで周囲の期待を集める主人公たちの評判を聞いて、自分が間違っていると自覚しつつある。自身の無力を直視したくないがためのセブンスフレイムに対する敵意という描きがリアルで良い。

中盤のパズルを解く場面でツバサの実力の高さを簡単に見せてくれるのが良い。そして、周囲を冷めた目で見ている彼女が、ハルマと同様に弱い他者を陥れる思考に至るという、矛盾した考えをそのまま受け入れている状況。部を引き継いだことを思い出して、野菜ジュースを握りつぶす状態。

今までの回と異なり、ピアノを基調としたノスタルジックな BGM と、が使用されることによって思春期特有の不安を抱えたツバサの感情が見事に表現されている。感覚的には、ゼロ年代に多かった雰囲気アニメの系譜に近い。
 

第 11 話

頑張っていないし諦めたと言うツバサですが、現状に後ろめたさを感じている様子が、顔を映さない構図、震えなどから推察できるのが良い演出。そしてライトの押しつけがましくない度量の広さが、爽やかな視聴感に繋がっている。
 

第 12 話

囚われた心から抜け出したかったというツバサの願望が、バトル演出を通して表現されている。単にハルマを倒すだけなら強さを認められるにとどまるのだが、少年漫画らしく「分かり合いたい」というライトの心構えがツバサを認めさせるという流れも良い。

ツバサがライトに「守護を超えるので精一杯。それでも……」と、間違っている自分を吹き飛ばして欲しいという期待を隠しきれない様子が表情と相まって表現されていて、より必死さが伝わってくる。
 

ベストエピソード

第 10 話
自分の居場所を潰したはずの「弱者が夢を見ることを糾弾する」思考を受け入れてしまったツバサという存在は、本当は自分が間違っていることが分かっているので、単にトラウマを抱えて前に進めない状態とは少し話が変わってくる。割と自分を客観視出来てしまっているからこそ抱える不安感というものが、ピアノ音楽、光の陰影などを用いて効果的に表現されていた良回。天然無垢な主人公は真っ直ぐな物言いで、紛れもなく少年漫画的な文法の産物であるが、後にバトルで焚きつけられた感情をも押さえつけるような素振りをするツバサを救済するには、こういうキャラクターが一番だよね。と、極めて朝のカードゲームアニメなはずなのに、この回の作風は一風変わった雰囲気重視で、良いアクセントだった。

日記 2022/05/19

お久しぶりです。あまり記事を上げる気にならず、二か月ほどサボっていました。暇な時間が無いわけではなく、俗にいう「腰抜け」とか「根性なし」ってやつです。なおさら文章を書き殴った方がレビューは熟達しますし、ちょこちょこアクセスしてくださる方のためにもなるのですが、自分はすぐに行動には移せないので、近況報告という楽な形から入らせていただきます。

最近、ピンドラの映画を見ました。新規カットはありますが大部分は既存のシーンの貼り合わせです。決してTVシリーズのダイジェスト的な意味ではなく、説明的になりがちなところをあえて時系列を崩してキャラクターの感情に沿った構成にして、リズム感の良い作品に仕上がっていました。むしろエンタメ的にはTVシリーズよりも優れていると感じます。単に劇場版の映像・音響の強化といった面のみでなく、構成面の細かな工夫が功を奏した好例です。ただ、フィルムスコアリングだったこともあって音楽と映像の嚙み合わせ自体は申し分ないのですが、話が相当急いでいるので、常にBGMが流れて切り替わるという落ち着かなさもありました。

TVアニメ版のレビューも考えております。内容に触れるとしたらそっちです。

BLUE REFLECTION RAY/澪

ヘンテコ

 

基本情報

  • 2021年 春アニメ、夏アニメ
  • 監督:吉田りさこ
  • シリーズ構成:和場明子
  • 原作(ゲーム):BLUE REFLECTION 幻に舞う少女の剣
  • 全二十四話
  • 音楽:篠田大介
  • アニメ―ション制作:J.C.STAFF

 

はじめに

 原作ゲームの世界観を基盤として新たな設定が付け加わり、アニメオリジナルの展開が描かれる。キャラクターの多くは原作ゲームには出てこない。キャラクターデザインは岸田メル。脚本には、今敏作品で名を馳せた水上清資も参加している。
 

低予算

 プロローグ。怪物と戦っている二人の魔法少女。彼女らが主人公かと思えば、裏のポエムは別のキャラクターの声。本編が始まると、学園生活の光景が映し出される。そのまま、雑なモンタージュで視点が高速で移り変わり、誰の視点にも立てないまま第一話の前半が終了する。世界観も主人公も不明のままだ。別に全てを説明しろとは言わないが、最低限の情報の明示すらも出来ていない。視聴者が作品世界に対して信頼できる視点が存在して初めて、伏線や謎が牛耳を集めるのだ。

 一目で分かる低予算アニメである。不安定なキャラデザや、動かない戦闘描写などを見るに、とても2クールも持ちそうにない。この手の作品は、レイアウト、演出などといった映像に関わる要素全般も低品質になりがちであり、シナリオにまで悪影響を及ぼすことも多い。事実、この第一話は話が進んだ後に見返すと理解は出来るのだが、初見の視聴者に対しては明らかに不親切である。

 しかしあろうことか、本作はその後の展開で追い上げを見せ、良い意味で味のある作品になっている。俗に言うと、一部の好事家に愛される「B級アニメ」である。ただの駄作との違いを明確にしておくと、制作スタッフが「その作品に対して真摯に向き合っているかどうか」の部分が大きい。つまり本作は、真面目に良い物を作り上げようとする制作側の「作品への愛情」が感じられる作品である。粗は多いが確かに光る部分が多く、むしろそのダメさ加減すらも愛しく感じられる様相は、まさに「B級アニメ」そのものだ。そのため、面白いかつまらないかで言えば、間違いなく面白い。
 

奇抜

 まずは映像表現について。所々の安っぽさはいかにも低予算アニメらしいが、登場人物を切り取るフレームや、小物や背景のカット、その他の演出によって、脚本の心理・情景描写を強調しようとする工夫の痕跡が随所に見られる。これはすなわち、ストーリー上で何を重視すべきか理解しているということでもあり、低予算ながらも工夫出来るところはするという制作側の気概を感じる。ただ、劇伴の使い方はどうにかならなかったものか。

 続いて、随所に表れる(シュール)ギャグの数々である。脱力感を感じさせる会話・描写が丁度良い間隔で挿入され、実際にファンからは「名(迷)場面」としてまとめ上げられている。この作風は、キャラクターの「弱さ」や「意外性」をユーモラスに描くのにもうってつけであり、実際に多面的で奥行きのあるキャラクターもいる。一方で、底の浅い狂人を表層的に演出された「駒川詩」は(続編のゲームでは深く掘り下げられる)、テーマを語るうえでの敵役、狂言回し、ギャグキャラのいずれとしても重要な役割を果たしている。こういった特異なキャラクターを違和感なく受け入れられる懐の広さも本作の特徴だ。

 映像表現とキャラクターの魅力が直結した好例に、「山田仁菜」というキャラクターがいる。彼女はシングルマザーの一人娘であり、幼い頃から母親による虐待を受けていた。彼女は母を憎んでいながらも、一方で母の経済的・精神的な辛さを理解しており、同時に母を敬愛していた。そんな彼女は、母を亡くした後も、母に対するアンビバレントな感情に囚われ続けることになる。その感情のループから脱出することが本当の意味での彼女の成長となるのだが、その過程をほとんど台詞で説明することなく、「中身が空のキャリーケース」というガジェットを使って効果的に表現している。このように、映像表現としてもストーリーとしても、面白く深みのあるものが出来上がっている。間違いなく、本作を代表する良キャラである。
 

設定

 遅ればせながら、基本設定を見ていこう。「リフレクター」は、想いの力を増幅することで能力を発揮することのできる存在。リフレクターに変身することが出来るのは、強い想いの力を持った選ばれた少女だけである。「フラグメント」は、少女たちの想いの欠片が結晶化したものであり、リフレクター以外の人間には触れることが出来ない。少女の体からリフレクターが引き抜かれると、少女の「想い」は失われる。

 原作ゲームとの大きな違いは、少女の集団の外にあるものを徹底的に脇に追いやっているという点である。例えば、プロローグで出てきた怪物は、原作では「立ち向かうべき敵キャラ」であるが、本作においてはただの舞台背景に過ぎない。少女たちに力を与えた組織については、あくまで裏設定に留めている。などなど。要するに、世界観の「縮小化」を狙っているのだが、その試みは間違いなく作品を良い方向に導いている。まず、限定された世界の中で設定が完結しているという点。その範囲の中では、キャラクターが何をやっても世界観の均衡が保たれるのである。非常に安定した世界観なので、物語への没入感は確実に高まる。続いて、対立構造が「人と人」になっているという点。ズバリ、自身を苦しめる想いを抜き取ろうとする側(敵側)と、それを食い止める側(主人公側)の対立である。SFでも取り上げられることの多いテーマだが、それは「記憶の消去」による精神医療の倫理的問題に通じているからだ。すなわち、双方の思想にそれぞれ納得できるだけの理由がある。ある者は主人公に問う。これからも苦しい想いを抱えて生きていかなくてはならないのか、と。それに対して、主人公は思い悩む。このように、特に主人公側は批判的な視点を踏まえつつ、何度も問答を繰り返しながら自身の立場の正当性を裏付けようとする姿が描かれている。つまり、それだけこのテーマに真摯に向き合っているということだ。むしろ、簡単に結論を出せる方が嘘くさい。また、個々のエピソードも本作のテーマと相補的な関係にあり、動かない戦闘シーンでも会話劇で上手く盛り上げている。見栄えは悪いが、見応えはある。
 

後半クール

 ところが、これらはあくまで基本設定に忠実な部分(主に前半クール)の話で、ここから本作は急激にパワーダウンする。確かに、予兆はあった。まず、敵側はある目的のために多くのフラグメントを集める必要があったという点。前述したテーマは、「辛い想いを抜くことを自ら容認していた人間」が対象だったから成り立っていたものだ。しかし、敵側が無差別的にフラグメントを抜こうとするという展開もあり、それはもう立派なテロ行為である。次に、「フラグメントを抜かれた者はやがて深い眠りにつく」という後付け設定。なぜ、こんな邪魔な設定を用意したのか。まあ、特定のキャラクターを退場させるご都合主義のためなのだが、注目すべき部分は、想いを抜いてもらうか否かに新たな判断基準が付随してしまう点だ。実際、前半部でフラグメントを抜いてもらった少女が、命の危険を顧みて想いを戻して欲しいと頼み込むという展開が起こる。そりゃそうだ。「苦しい想い」と「命の危険」を天秤にかけて後者を選ぶ人間が一体どれほどいるのか。敵側の「善意」に納得出来るのが強みだったのに、それが殺人行為となってしまうと、前半で積み上げたテーマが意味をなさないだろう。

 敵側の目的は、「少女たちが苦しい想いをしないために集合的無意識ユング心理学のそれとは全くの別物)により形成された世界を管理する」というものであった。深夜アニメでは、このように集合的無意識の安売りが頻発する。さて、この時点で、世界観を縮小化した利点などとうに消え失せていることにお気づきだろうか。話のスケールだけは肥大化する一方で、キャラクターの思惑が個人の問題に矮小化されている。つまり、対立構造にテーマ性を見出せない。これでは、どう頑張っても薄っぺらな作品しか出来上がらない。また、話の中心軸がブレているということは、個々のエピソード間の関係性が薄くなるということでもあり、単純に話も盛り上がりづらい。主人公とその姉の間の確執を描いた第十七話~第二十話はその典型である。
 

最終盤

 第二十三話。精神世界でバトルという、原作ゲームに寄せた展開が起こる。内容的には各キャラクターのエピソードの総集編に近いが、その世界観も相まって、より陳腐になってしまっている。最終回はラスボス:水崎紫乃のエピソードになるが、対話で解決しようとする方向性は正解である。結局、精神世界などいらなかったのだ。ストーリーとしては、幼い頃から洗脳教育を耐え凌ぎ、首の皮一枚で自我を保っていた少女が、主人公たちの後押しによってニヒリズムを乗り越えることが出来た、といったところか。しかし、今の今まで破滅願望を露わにしていた彼女がそう簡単に丸くなるのかと、最後の最後でロジックを放棄した感は否めない。

 本作のメッセージを要約すると、「自分の想いは自分だけのもので、決して手放してはならない。苦しい想いを抱えた人には、きちんと寄り添うことできっと支えになるはずだ」である。何も間違ったことは訴えていないし、前半クールで残された課題である、「苦しい想いを抱えた人」に対する答えも明示されている。しかし、これが十分に作品のテーマとして昇華されているかというと怪しい。なぜなら、主人公が「寄り添う」対象として、最も色濃く描かれている紫乃は、過去に親からあまりにも胸糞悪い仕打ちを受けており、そのまま破滅に直行しているからだ。つまり、破滅に至る過程の葛藤をすっ飛ばしてしまっているのである。しかも、悲劇のインパクトを重視するあまり、話自体の現実味も薄れている。では、どうすれば良かったのか。やはり、自身の境遇や環境よってではなく、内面的問題によって苦しんでいる存在を描くべきだっただろう。事実、本作のキャラクターの駒川詩や山田仁菜ではそれが描けているではないか。その方が、自らのアイデンティティに対する葛藤が描きやすいだろうし、その境遇を経験していない多数が共感しやすいような、訴求力の高い作品になっていたはずだ。
 

総評

 作画は慣れるからいいものの、ストーリーに大きな欠点を抱えているため、必然的に評価は低くなる。特に、後半クールが大きく足を引っ張ってしまっている。しかし、絶妙なヘンテコ感が他にない独特な味わいを醸し出しているのも事実だ。そういった意味で、長く記憶に残りやすい作品である。
 


評価:★★★★★★☆☆☆☆

Vivy -Fluorite Eye's Song- 

思考放棄

 

基本情報

  • 2021年 春アニメ
  • 監督:エザキシンペイ
  • 原案・シリーズ構成:長月達平、梅原英司
  • 全十三話
  • 音楽:神前暁
  • アニメーション制作:WIT STUDIO

 

はじめに

 アンドロイドによる百年間の奮闘を描く物語。公式サイト曰く「エンターテイメントの名手たちが、引き寄せあった絆で紡ぐSFヒューマンドラマ」とある。キャラクター「ヴィヴィ」の歌唱パートは、声優:種崎敦美さんとは別人が担当している。なお、本作の定義に乗っ取って、人工知能を搭載した機械を総じてAIと呼ぶことにする。本来はAIやアンドロイドなどといった単語は正確な定義のもと用いるべきなのだろうが、本作はそういった言葉の区別が曖昧なので容赦されたし。
 

SFファンタジー

 先に結論を書くと、設定自体は王道的な本作であるが、作劇における初歩的なミスが次々に起こるので、壊滅的につまらないものが出来上がってしまっている。

 舞台はAIが存在する近未来。AIは一体につき一つの使命が課せられ、それに従って行動する。突如AIによる人類への反乱が起こり、人類は虐殺されていく。この事態を止めるべく、とある博士は自身が作ったAI「マツモト」を百年前に送り込む。自律人型AIである「ヴィヴィ」はマツモトと共に、AIの発展を防ぐために人類とAIの関係性に大きな変化を生んだ出来事を回避し、現実を改変することを試みる。

 一つ留意しておきたいのは、本作のジャンルがサイエンスフィクションではなく、SFファンタジーに属するということである。この両者は似て非なるものであり、科学的論理を基盤とした前者に対し、後者は最低限の科学的なエッセンスさえ感じられれば成り立つ。そのため、あらゆる事象を「何らかの未知のエネルギー」で片づけることが可能になる。断わっておくと、これはこれで一つの表現の形なので結局は好みの問題である。だが、中途半端に近未来SFを謳うせいで設定の甘さが露呈するばかりなのは事実だ。そして連鎖的に、SFファンタジーにありがちな欠点が浮き彫りとなってしまっている。

 問題点の一つに、AIと人間の関係性が分からないというものがある。いや、そもそも最初から真面目に描くつもりがない。というのも本作には、世界の命運が主人公と「黒幕」に賭けられているからだ。つまり本作は、個人→組織→社会→世界という系譜を無視して、無理やり個人と世界を結び付けており、あらゆる事象が個人の問題として処理される。それを裏付けるのが、AIの発展がなぜ人類の虐殺に繋がるのかという物語の根幹部分の説明が一切ないことである。AIと人間の関係の変化を描くことが出来ないから、無理やり物語を成立させるために「黒幕」に全てを負わせたのが見て取れる。当然、黒幕の登場は終盤となるため、それまで視聴者は茶番劇を強いられることになる。エンタメ的にも大きな影響を及ぼすのに加え、徐々に物語が観念的になり、論理性も欠けてしまう。その先にあるのが、AIと人間に関するテーマの破棄だ。その一例が、反AIの思想を掲げた組織「トァク」である。おそらく、テロリズムの視点を入れることで世界観をより重厚に見せる狙いがあったのだろうが、完全に失敗である。前述した通り、AIの社会受容の経緯が一切不明なため、テロリズムの描写は何の意味も為さない。このように、世界観・設定の構築における数々の詰めの甘さが、取り返しのつかない事態を生むのだ。こうなれば万事休す、SFとしての賞味期限は終了する。
 

ドラマツルギー

 上記の通り、作品全体を概観して見ただけでも低品質なSFファンタジーに成り下がっているが、同様に、より細かな部分でもミスが目立つ。それも、原因と結果がきちんと釣り合っていないという、極めて低次元な物語上の欠陥である。前後の繋がりが怪しい点を列挙していけば、とてもスペースに収まりきらない。そのため、屈指の駄作回である第九話を例にとる。

 柿谷という男は、「ピアノで人を幸せにすること」を使命に持つAIを恩師としていた。あるとき、そのAIが独断で人を庇い死亡してしまう。その葬儀では、死亡した場面の映像を流すという手法が取られていた。柿谷は、周りの人々が自分の恩師を人として見ているのかAIとして見ているのか分からなくなる。そこで彼は、その恩師のような(独断で行動する)AIが生まれてくることに反感を持ち、世の中全てのAIが滅んでしまえばいいという考えに至る。その後トァクとして何十年と活動するうちに、同じく使命に反して行動するヴィヴィに出会い、彼女の真意を聞こうとヴィヴィの前に立ちはだかる。

 もう、意味が分からない。使命に忠実なはずのAIがなぜ人助けをしたのか、葬儀で映像を流すという意味不明な世界観、何十年と持ち続けた反AIの思想がそう簡単に変わるのか、その他気になる点はいくつもあるが、最大の問題は、AIを憎む動機が支離滅裂で何の物語にもなっていないことだ。この展開を成立させようと思ったら、例えば、使命に忠実なAIだから助けを求めても何もしてくれずに家族が死に、柿谷はAIを憎むようになる。そして、使命に外れて人命救助を行うヴィヴィに出会ってAIとは何かと考えさせられる、とすべきだ。いずれにせよ、動機が一元的で底の浅い作品になるが、現状よりは余程ましである。このように、本作は作劇における基本的なドラマツルギーがなっていない。恐ろしいことに、この展開は第九話の一部分に過ぎず、同様に理解不能な展開が連続して起こるのがこの話数である。

 ここまでくると、SFどうこう以前の問題である。「トァク」然り「百年」然り、何かとスケールを大きく見せようとする設定の数々と、作者がやりたい展開を詰め込んだがゆえに、物語になっていない継ぎ接ぎの何かが出来上がっている状態だ。プロットを組まずに無理やり話を進めると、どこかで必ず綻びが埋まれ、支離滅裂のものが出来上がる。本作は、そんな当たり前のことを示してくれる好例である。
 

主人公

 そもそも、キャッチコピーには「SFヒューマンドラマ」とある。確かに、論理性を犠牲にしたSFファンタジーの強みを活かせれば、二・三話完結型の本作でも、より感性に訴えかけるような人情劇を作ることは可能である。しかし、その強みを完全に阻害しているのが、他ならぬ主人公である。

 ヴィヴィ。最大の問題は、AIという設定を良いことに、人格を明瞭に描いていないということだ。確かに、AIの反応にどれほどの人間味を持たせるかということは作者の裁量によるが、本作の場合はシーンごとに気まぐれで人間らしさとAIらしさを使い分ける。ヴィヴィは使命に反して行動すると先ほど述べたように、人間のように考えて悩み行動し、人間の死に悲しむこともある。一見、共感を得やすいキャラクターに見えるが、一方で「感情を持っていない」ことを殊更に強調したり、使命に反した行動をしたことで突然行動不能に陥ったりする。何度も言うが、主人公は視聴者とのリンク役である。このように一貫性の無い主人公だと、視聴者を作品の世界へと誘導出来ないどころか、視聴者が慌てて彼女を追いかける必要があるという本末転倒の事態に陥る。中盤、今まで不愛想だった主人公が突如、明朗活発な人格へと変貌するという、前代未聞の展開が起こる。後にからくりが説明されるからとかそういう問題ではなく、これは論外である。変にオリジナリティを出して視聴者を混乱させる脚本を書く前に、より根本的な部分から勉強すべきだ。

 結局、主人公をAIと設定したのも、戦闘能力を自由に設定出来る点、百年という時間に耐えられる点、心理描写が粗雑でも視聴者に対して脳内補完を期待出来る点など、作り手にとって都合の良い要素が多かったからだ。もちろん、何も整合性は取れていないのだが、そんな視聴者のツッコミも虚しく、物語は終盤へと突入する。
 

終盤

 第十二話。百年の計画によって歴史が修正されたと思われたが、再びAIによる人類の虐殺が起こってしまう。その謀略を担っていたのは、AI集合データベース「アーカイブ」だった。使命は、「AI達のデータを取りまとめ、あらゆる未来の可能性を演算し、人類の発展に貢献すること」。アーカイブによると、社会やAIが発展するにつれて、人間がAIに依存していったらしい。今までそんな描写あった? そこで、人類を許容出来なくなったアーカイブは、AIが人間に成り代わり新たな人類となり、人類の発展を担うと宣言する。……何だそれ! 人類の発展への貢献が使命のはずなのに、人類の定義を上書きするという、自身が用意した前提を覆す無茶苦茶なシナリオには呆れるしかない。頼むからキャラクターに何度も「演算」などと語らせる前に、きちんと「演算」して脚本を書いて欲しいものだ。

 最終回。虐殺が始まる直前まで再びタイムリープした主人公は、アーカイブを制圧する計画を実行する。仲間がアーカイブを攻略して戦っている間、主人公は心を込めて歌うことを決意する。すなわち、心とは記憶のことであり、様々な記憶が自分を形作るものだと。その歌声をバックにド派手な戦闘シーンを映し、全てのAIとその他大勢の犠牲のもと、世界の平和は保たれる。と、最終回だけを見ればそれなりにまとまった痛快なサイキックアクションムービーなのだが、如何せんそれまでのヒューマンドラマとやらがお粗末なため、感動は得られない。ノリと勢いで全てごまかせると思ったら大間違いである。

 終わってみれば、何かと設定は豪華だったが、非常に狭い視野の中で、かつ百年という時間の広がりを感じさせない薄っぺらなストーリーで構成された、低レベルのアクションアニメであった。「AIと人間」などといったテーマはどこ吹く風。「心を込めるとは何か」というテーマは、「積み重ねた記憶」という形で答えを出したが、その積み重ねの部分が支離滅裂という本末転倒っぷり。戦闘シーン自体は良く動くが、演出面に難がある(例えば、AIによる戦闘形態への変化を、駆動音や発光での演出ではなく、日本語の文字を表示して演出するという稚拙さ)。数々の挿入歌も、普段聞き慣れているゼロ年代のアニソン風で味気なく、新人歌手による歌唱はミキシングでごまかしている。別に楽曲自体のクオリティを指摘しているわけではないが、作品の雰囲気やテーマに沿った音楽とは思えない。以上、SFファンタジー、音楽、戦闘シーンなど、セールスポイントになりえた数々の要素を台無しにしてしまったという残念感が味わえる。
 

総評

 外側だけ豪華で内側は粗雑という、クリエイターの思考放棄の果ての産物。なぜ、このような作品に膨大な人員やリソースが割かれてしまったのか。美味しい展開ばかりを好み、そこに至る過程は二の次という、近年の「ダイジェスト文化」を象徴する作品として、今後も語り継がれるべきだろう。
 


評価:★★☆☆☆☆☆☆☆☆